弥右衛門公園と土地所有の概念と月と火星〔6983〕2022/05/29
2022年5月29日(日)夏空
朝から夏空が広がる日曜日。ここは弥右衛門公園。近年完成した公園で、休日には多くの家族連れで賑わっています。まだ7時前なので、静かな静かな弥右衛門公園。
以前にも書いたけど、この界隈一帯の広大な農地を開発した山崎弥右衛門さんにちなむ、名称。藩政期初期、潮江の庄屋さんだった山崎弥右衛門さんが、下知の汐留堤防の内側に広大な新田を開発し、そこが弥右衛門ノ丸と呼ばれるようになったことに、始まります。
この界隈、近年急速に発展しました。現在の航空写真がこれで、1970年代は、これ。弥右衛門さんもビックリ。
ところで。山崎弥右衛門さんが開発した新田の所有権って、どうなったんでしょうかね。弥右衛門さんの所有だったのか。そもそも干潟だった場所なので、弥右衛門さんが開発するまで、誰の所有でもなかったと推察できます。当時は、民間活力を利用してのインフラ整備が一般的だった、という話は幾度もここで書いてきました。新田開発を行った民間人には、当然なんらかのインセンティブが与えられた訳で、弥右衛門さんのインセンティブは土地を利用する権利とか租税免除の特権とか、そんなんだったんでしょうかね。知らんけど。
ここで「土地所有」という概念について、考えてみよう。
太古の昔は、人間にとって「土地所有」という概念はなかったでしょう。そもそも、地球は誰のものでもない。その地球の上で、ヒトという生物が、どこかに定住を始める。その際、「ここは僕の家ね」と宣言したときから、土地の所有が始まったんだろうか。耕作を始めた時も、「ここに畑を作ったのは僕だから、僕の土地ね」と言うたのかどうかは知らんけど、そんな感じで土地所有という概念が始まっていったんでしょうかね。早いもん勝ちというか、言うたもん勝ちというか。
都市や国家ができると、状況は複雑になってくる。「国」という概念も様々で、これも言うたもん勝ちみたいな側面に、武力などの力関係が作用して、「国土」が生まれてくる。その中での個人の土地所有については、それこそ様々な形態が編み出され、為政者の都合に合わせての「土地所有」が行われるようになる。
今の日本では、土地というものには所有者が居るものだ、という感覚が当たり前。やけど、地球の歴史、人類の歴史を見てみると、一概にそうとは言えん訳で、国家や個人の力関係が「土地所有」を決めてきたみたいにも、見えます。
何が言いたいのかというと、こないだ書いたように、これから月とか火星への進出が盛んになってくる訳で、その、月や火星での領有権とか所有権とかはどうなるんだろう、と素朴な疑問が湧いてくるんですね。
大航海時代にヨーロッパの強国が早い者勝ち、言うたもん勝ちで、アジアやアメリカ大陸で領有権を主張していった歴史が、思い浮かぶ。
もちろん月や火星に先住民は居ないので、余計に、早いもん勝ち、言うたもん勝ちの側面が強くなるんだろうか。宇宙は、人類の夢やロマンであるけど、紛争の火種になることだけは避けて欲しい。僕らはみんな、同じ宇宙人だから。
弥右衛門公園という名前から、思考が暴走してしまった日曜日の朝。平和な日本は良いお天気。この平和がいつまでも続きますように。