明日で100周年〔6973〕2022/05/19
2022年5月20日(木)晴れ!
いよいよ明日。ひまわり乳業創業100周年が、明日。1922 年5月20日に秦泉寺で創業、となっていますので、いよいよ明日が、創業100年。
銀行員だった吉澤八洲夫が、乳牛と山羊を飼育してミルクを搾り、販売を始めたのが1922年5月20日で、それは、この場所でした。現在は高知市秦泉寺。当時は土佐郡秦村秦泉寺。
吉澤八洲夫の出身地は、県東部の田野。田野から高知商業学校へ入学すべく高知市へ出てきて、商業学校で学び、卒業。その後、横山又吉先生の推薦で銀行員となったのでした。そして、吉澤牧場創業。
秦泉寺を創業の地に選んだのは、そこに親戚の持ち家があったから、と言います。そこを買い取っての創業でした。当時の風景は、100周年特設ページでご覧いただけます。その地は、秦山の南麓。この写真の場所界隈。そしてそこには、高知市の三名水のひとつとも言われたことのある、秦泉寺の井戸があったのでした。
親類の持ち家があった、というのは重要でしたが、そこが、きれいな湧水が豊富な土地であったことも、重要なファクターであったのではないか、と、推察します。酪農と乳処理には、水がたくさん必要だから。搾乳器具や配管、容器を洗浄する必要がありますきんね。
ちなみに「秦泉寺」という地名は、白鵬時代に、秦泉寺という古代寺院があったことに由来します。渡来人である秦氏に関係するのでしょうか。そういう寺院が、美しい泉が湧き出る土地につくられたから、秦泉寺。たぶん、そう。その泉はここ、秦山の南麓の、古浦戸湾に臨む海岸線近くに湧き出していたのでした。そこが、ひまわり乳業創業の地。そこに創業したのには、そういう理由がありました。
現在の本社は、南国市物部に所在します。ここ。
ここに工場を建設したのは1965年。昭和40年。当時としては破格に広い敷地につくられた牛乳工場。消費地である高知の市街からはかなり離れたその土地に工場をつくったのにも、理由がありました。色んな要因があるけど、水が豊富、というのは必要条件。そこは、物部川沿いの、湧水が豊富な土地で、牛乳工場を建てるのに最適でした。その先見の明のお陰で、ひまわり乳業は、水不足に悩まされたことは一度もありません。そしてもう一つ。そこは県下有数の酪農地帯だったことも、立地の大きな要因。
日章地区が県下有数の酪農地帯として発展した理由のひとつが、太平洋戦争。戦争後期、現在の高知空港の場所に海軍高知航空隊ができて、飛行場が建設される。海軍は、海軍カレーでもわかるように、その食事は結構洋風でした。それは、兵隊の栄養状態向上の意図があったと思われます。で、洋風の食事に欠かせないのが、牛乳。
海軍からの要望で、日章地区には、海軍へ納入する為の牛乳を生産する酪農家が集中することになったのでした。
そんな訳で、戦後は、県下有数の酪農地帯となっていた日章に、物部川水系の豊かな水に恵まれた日章に、工場を建設することにしたのでした。
ひとつひとつの出来事には、理由があります。そんな理由を積み重ねて積み重ねて、100年。
明日、その、大きな節目を迎えます。