潮江天満宮、今朝は「白梅」〔652〕2005/01/27
2005年1月27日(木)曇り
今日も暖かい朝になりました。今朝も、ひまわり太郎、早朝から鏡川沿いを快走して参りました。真っ暗いうちから思い切り走るのも心地よいですな、ホント。汗をびっしょりとかいて、シャワーを浴びて、さあ、爽やかな一日のスタートです!
昨日のにっこりで、潮江天満宮の「飛龍梅」をご紹介しましたが、今朝は、同じ潮江天満宮の参道脇の白梅を撮影してみました。紅梅よりも白梅の方が早く咲き始めますので、ご覧の通り白梅はもはや満開。暗い参道に白く浮かび上がってなにやら幻想的です。梅干しになるのは、この白梅の実。梅の実が成る頃に雨がよく降るんで「梅雨」。知っちょりました?
さて、昨日、菅原道真公と牛さんは縁が深い、というお話をしましたが、どのように深かったのでありましょうか。気になりますね。なりません?
道真さんは、西暦845年生まれの丑年(ちなみにひまわり太郎も、道真さんより93まわり若い丑年)。で、元服した日(2月乙丑)、白牛が死ぬ夢を見てショックを受け、白牛の絵を書いて尊崇したそうです。その後時は流れ、ある茸刈りの際に宴席へ子牛がやって来て、菅公に頭を垂れたので、喜んだ菅公は自分の家へ連れ帰って可愛がったそうです。そして、その後、昨日も述べたように、藤原氏の陰謀で太宰府左遷となったのでありますが、京を出て落ちのびる際、藤原氏の放った刺客に襲われました。その危機一髪に、突然飛び出して来た白牛が、その刺客の腹を突き刺して菅公を救ったのだそうです。その牛を見ると、京を出発する前日に、突然居なくなってしまった愛牛でした。その牛に乗って太宰府までやって来た菅原道真公は、903年2月25日の丑の日にお亡くなりになったそうです。
各地の天満宮には牛が奉納され、その牛を撫でて自分を撫でると健康になるのであります。これにはそんな云われがあったんですね。