麓宝苑〔6367〕2020/09/20
2020年9月20日(日)曇り
日曜日。10時過ぎから諸々用事があるので、早朝から自転車で山中をウロウロしてきました。
朝、まだ小雨が残る中、自転車で高知駅。輪行袋にベージュの折り畳み号を入れて、汽車。5:41高知駅発阿波池田行きの各駅停車に乗ると、6:31に繁藤駅到着。
繁藤駅で自転車に乗り、穴内川を渡り、支流、河ノ川沿いの道を5kmほど駆け上がっていくと、西又という小さな集落に着きます。今朝の目的地は、そこ。
かつて。
僕が子供の頃、ここに麓宝苑というリゾート施設があったのでした。僕は行ったこと、ないけど。ニッポンでは、高度成長期終盤、いわゆるレジャーブームというやつで、いろんなところにリゾート施設が作られました。高知でも、桜ヶ丘レジャーランドとか、横浜ヘルスセンターとかね。桂浜の、今の龍馬記念館のところにも、桂浜ヘルスセンター。僕が中学校くらいになると太陽の丘サニーヒルズクラブもあったしね。
今はもう、ぜんぶ、兵どもの夢のあと。
ここにあった麓宝苑については、この有名サイトに書かれていることを、こないだ知人の猪頭くんに教えて頂きました。世の中には、いろいろと調べている方、いらっしゃいますね。すごい。
このサイトによると、ここ西又地区出身の富田さんという造林家が、地元に雇用を生む施設を作りたい、という一念でつくった施設と言います。繁藤駅からの道路も、自力で整備して。すばらしい故郷愛。
しかし時代は石油ショックを迎え、敢えなく最期を迎えてしまった麓宝苑。
僕は知らんかったけど、猪頭くんの話だと、一時、高知大生とかの間では有名な廃墟、心霊スポットになってたそうです。
今は昔。麓宝園は、こんな施設だった訳ですが、地理院地図で当時の航空写真を見てみると、ありました。これ。現在が、こんな感じ。Googleマップだと、こう。
少し徘徊して、痕跡を探査してみました。
麓宝苑跡地は、佐川急便が買い取り、「さがわの森」として植樹なんかを行い、研修施設としても利用してきたと言います。
メインの建物は、研修施設みたいな感じで残ってました。かなり寂れてはいるけど。
敷地を探検すると、岩を並べてつくった池のようなものがたくさん、出現します。池とか釣り堀とかプールとかに利用されてたんでしょうか。
当時の航空写真に見える黒っぽい縦の筋。それは、この写真の右手の、石積みで囲まれた池か釣り堀みたいなものでした。
行ってみてわかったけど、渓流が流れ、ものすごく素敵なところ。ここにわざわざリソーと施設を通った思いも、理解できた気がします。
この十字の場所から撮影した、麓宝苑の廃墟。
このページのパンレット見てみると、こことは別に、4階建ての大きな建物があります。ここより少し北の山腹。今気づいたので、今朝は探検しなかったのが心残り。当時の航空写真でも、その部分の写真が黒くなって無いのが、なにか不思議ですねー。今はもう、何もないのかも知れんけど、検証はしてみたい。
当時リゾートブームだったとは言え、交通の便が極めてよろしくないこの山中に、このような施設を作った思い。志。矜恃。その冨田さんの思いが、今もこの空間に残されているのか。ここが心霊スポットで、なにかが「でた」とすれば、それは、富田さんの思いが溢れたものなんではないか。誰もいない、早朝の廃墟の中を一人探検してると、そんな「思い」を、感じました。本当です。
今日は、ここから繁藤駅へ戻り、国道32号を走って根曳峠を越えて、帰ってきました。秋の四国山地堪能自転車旅。
高知の街中は、どこもかしこも、人出、すごいですね。コロナ前の活況が、完全に戻っています。このまんまコロナが収束に向かうのを祈るばかり。