二葉町、常盤町、西洋町、稲荷町〔6321〕2020/08/05
2020年8月5日(水)晴れ
毎日暑い夏。夏は暑いにかぎります。今朝も夏空。
写真は夜明け前、4時過ぎの中の島。鏡川大橋の真上に大きなお月様。ここは水門の内側で、少し広い船溜りになってます。二葉町から撮影しました。対岸が中の島。
5年前の春、いの町在住83歳の女性、Uさんから、素敵なお葉書を頂戴しました。僕の「高知痕跡学会」のザっとした記事に関するご感想など、几帳面できれいな文字で、葉書面にビッシリと書いてくださっておりました。水上飛行機の飛行場跡など、実際に見られた風景を書いてくれてましたので、とても嬉しかったです。
そのお葉書の中でも触れられていたのが、ここの風景。
子供の頃、このお近くに住まわれていたとのこと。そこにはこのように書かれていました。
「現在の二葉町から対岸の中の島まで渡し舟があり、中の島には造船所がありましたので、工員がそれで仕事に行っていましたし、私たち近くの子どもは、夏になるとそれで中の島へ行き、鏡川で泳いだものです。」
Uさんは5年前に83歳。だから、小学生の頃というと、戦争前から戦争の時代、ということになります。当時、ここにはそんな風景がありました。
今、立っている場所は、この航空写真の十字の場所。1960年代の写真を見ると、こう。Uさんが見ていた風景は、こんな感じだったんでしょうか。それとも、もっと違う風景だったんでしょうか。
ここから渡し舟で向こうへ渡り、鏡川で泳ぐ。丁度今くらいの季節でしょうかね。この界隈は汽水なので、水は少ししょっぱかったと思います。北岸近くは深くなってるので、今の子どもはちょっと泳げんでしょうねー。
お葉書に「二葉町」とありますが、ここが「二葉町」になったのは昭和49年のこと。平凡社「高知県地名大辞典」によると、二葉町は、常盤町、西洋町、稲荷町の各一部からできた町。Uさんは、どの町にお住まいだったんでしょう。
ちなみに「西洋町」は「にしなだちょう」と読みます。昭和11年から昭和49年まで存在した町名。今はもう、ほとんど痕跡もない町名。
風景も町名も、時代とともに変わってゆきます。なんちゃじゃない風景を写真に残しておくことも大切かな、と思いながら、毎朝にっこり書いてます。
そろそろお日様がギラつき始めました。今日も暑そう。頑張って、張り切って、夏バテしないように牛乳飲んで、仕事が始まります。