サヌカイトのある風景〔6309〕2020/07/24
2020年7月24日(金)降ったりやんだり
今朝は、時折強く降ったり、やんだり。いわゆる不安定なお天気、というやつね。週末にかけて結構降るかも知れん、という気象庁の予報。それが過ぎたら梅雨明け、と思うのでありますが、週間予報見たら、それはまだ、来週中盤のことみたい。もう、雨は、いいです。農作物も、もう、十分潤いました。そろそろカラっと夏晴れが続いて欲しい。
そんな中、Go To トラベルキャンペーンが始まって、街中には人出が増えてくるみたい。さあ。どうなるのでありましょう。僕は、業界的立場的に、まだ、人混みには出かけんようにしてますが。
今朝も、静かに会社へやって来てます。Go To 会社。
出勤途中、雨が急にガイになったので、タナスカの埠頭から雨の浦戸湾を撮影してみました。右手に写ってるのは、海洋高校の実習船「土佐海援丸」。コロナで実習計画も色々大変やろうけど、頑張って欲しい。
雨に霞む浦戸湾。向こうに、西孕と東孕の半島が見えます。浦戸湾の、一番狭くなってるところ。これが、南海トラフでのプレートの沈み込みがもたらした風景であることは、幾度も幾度も書いてきました。まだ、大陸移動説が世間から白い目で見られてた時代に、寺田寅彦先生は、かなり真相に近いところまで喝破されてたのは、さすが。
で、これも幾度も書いてきたことやけど、2万年前、この目の前に海は無く、四国山地を流れ出してきた川が、この前を流れ下っておりました。あの、東孕と西孕の間は、文字通り峡谷。今よりも海水面が100m以上低かった、ヴュルム氷期。
昨日、ものと人間の文化史「島」という本読んでて、伊豆諸島のヴュルム氷期の頃の風景を書いてる場面に行き当たりました。海水面が低かった2万年前、利島、新島、式根島、神津島は、仮に「古伊豆島」と名付けられた一つの大きな島であった。大島や三宅島の何倍もある、島。伊豆半島からも、よく見えたことでしょう。伊豆半島、大島、古伊豆島、三宅島は、海水面が低かった旧石器時代には、一つの大きな生活圏を形成してたんでしょうかね。
少なくとも黒曜石。神津島産の黒曜石は、関東広くから出土してるので、旧石器時代の道具供給地帯として有名だったんだと、思います。
黒曜石は、流紋岩。
流紋岩は、火成岩。
火成岩を、二酸化ケイ素含有量の低い順に並べると、玄武岩、安山岩、流紋岩、と、なります。これはこないだから紹介してる巽好幸先生の本に、詳しく書いてます。
二酸化ケイ素が少ないと、粘性が低いので、溶岩はサラサラ流れる。二酸化ケイ素が多いと、粘性が高くなり、爆発的噴火を惹起する。みたいな話ね。
流紋岩の「黒曜石」に対して、安山岩の「サヌカイト」。香川県の、あの独特の山の風景をもたらしているのが安山岩。固い安山岩が地層の最上部に乗っかった状態で風化が進むと、あんな地形になってしまうのでありました。
その安山岩の中でも、特に硬くて剥離加工しやすいのがサヌカイト。この、金山産のやつが、西日本広くから出土してて、広域に流通してたこと、わかってます。
神津島産の黒曜石。金山産のサヌカイト。
旧石器時代の人たちは、僕らが思う以上に広く情報を共有し、広く広く物資や情報のやり取りをやってたこと、わかります。
黒曜石とサヌカイト。二酸化ケイ素含有量が多いのは黒曜石。固くて剥離しやすくて加工しやすいから、石器に使われた黒曜石とサヌカイト。
この写真の浦戸湾。
厚く厚く堆積した湾底の土を数十メートル掘り進むと、2万年前の地盤に行き当たります。そこには、ひょっとしたら、サヌカイトの石器が転がってるのかも知れない、と想像すると、この変哲のない雨の風景も、輝いて見えてきます。きませんか?きませんよね。
そんなことより、大雨を心配しながらやけど、今日も張り切って仕事仕事!