奈半利川の石積みと未来〔6178〕2020/03/15
2020年3月15日(日)晴れ
新型コロナ禍の中ですが、今日は高知県東部、田野町へ来てます。所用があって。
田野は、僕のご先祖様が眠る土地。ご先祖様と申しましても、別に名家でも素封家でもない庶民の家系らしい(らしい、という部分が、そもそもそんな感じっすよね)ので、お墓もそんなにたくさんなくって、一番古い年代が刻まれてる墓石が天明4年。その墓石も、どうやら後世になってから立てられたものみたいですから、よくわからん。
よくわかってるのは、曽祖父から。僕の曽祖父は、僕の名前から「郎」を取ったお名前。と申しますより、僕が曽祖父のお名前を頂いて、それに「郎」をつけただけの名前、ということね。「郎」が付くと付かんでエラい違いだ。本当に申し訳ございません。
曽祖父は、嘉永四年生まれ。1851年だから、安政南海地震があった時は、満3歳くらい。明治12年に、28歳で田野村役場へ奉職。爾来数十年、役場で過ごすした曾祖父さん。明治31年から大正2年まで助役をつとめ、その間の明治40年からの数年間は、村長不在で、村長代理という役職になってます。その明治40年のこと。
村の東を流れる奈半利川は、材木を運ぶ恵みの大河であると同時に、時折大洪水によって流域の人々の生活を脅かす、脅威の大河と表情を変えるのでありました。明治40年の大洪水は、8年前の洪水後に築かれた堤防を決壊させ、濁流は村を襲う。大被害を受けた村の復興を担ったのが、村長代理であった曾祖父さん。
その時の復旧事業で、かなり頑張ったと田野町史には記されています。以前、このにっこりでも一度ご紹介してますね。
6年前にご紹介したときには、その曾祖父さんが関わった堤防の石積みらしきもの、残ってました。今日、用事を済ませて奈半利川の畔に立ち寄ってみたら、新しい護岸工事が行われてるではないか。コンクリートで固めるのではなく、川の丸石を使ってるのがちょっと嬉しい、護岸工事。
110年以上が経過し、新しい護岸ができたのか。
曽祖父が関わった、100年以上持ち堪えた石積みはどんな積み方なのか見てみたかったのに。
と、思いながら土手を降りてみると、この、藪の中に、古い石積み。これがそうなのかも知れない。違うかも知れんけど、砂岩の谷積みで、石積みが残されていました。ちょっと、嬉しい。
もちろん明治40年の石積みは、曾祖父さんが関わってはいるけど、村民みんなが力を合わせ、助け合い、協力し合いながらつくったもの。新しい技術を導入して。
先人は、新しい技術を必死で導入しながら、力を合わせ、大自然と闘ってきた。その技術も、いつしか、新しい技術に取って替わられ、世の中は進んでいく。
地球は、僕らに、常に新しい脅威を、試練を与え続けるもの。新型コロナも、また、新しい脅威だから、新しい技術と知見と心構えと対応で、乗り越えていくもの。みんなで力を合わせ、助け合いながらね。
酪農乳業の業界が、今、みんなに助けられています。だから僕らも、僕らでできることを、一生懸命、やる。いい世の中。
たぶん、未来は明るい。