駐車場の自動車〔6139〕2020/02/05
2020年2月5日(水)晴れ
今日は車で出勤。朝4時半過ぎ、駐車場へ行くと、車、カチばりついてました。これほどになったのは、この冬初めてのこと。いよいよ氷点下か?と思うたけど、なんか、そんな感じもしない。
車に乗って、凍ったフロントガラスを溶かしながら車載外気温計を見ると、4℃。そうだよね。そんなもんだよね。
こんな気温でも、車の置き場所とか湿度とか風向きとかの具合で、カチばりついたりします。
ちなみに今朝、会社に着いたら2℃。まだ夜明けまでには時間があるから、この冬初めての氷点下になる可能性もあるけど、どうなんでしょうか。
さて。駐車場。
この、「駐車」という言葉がどのように始まったのか、ウィキとかで見てみたけど、書いてません。「駐車は、車両等が継続的に停止することである。また多くの場合、車両等の運転を止めて車両等から離れる事を指す」んだそう。
近年、街中に駐車場、増えました。商業施設とかがいつの間にか100円パーキングになってた、みたいなこと、多いです。このままいくと、駐車場だけの町ができあがっていきそうな、そんな勢い。
駐車場に停まるのは、自動車。自転車やバイクは駐輪場。
気になったので、自動車のこと、調べてみました。
「大言海」。
僕の好きな「大言海」は、明治24年に大槻文彦先生が自費出版した国語辞典「言海」の、改訂増補版。大槻文彦さんは、その志半ば、昭和3年に没したので、お兄さんが引き継いで改訂作業を行い、昭和7年に富山房で刊行された辞典。
その辞典に「自動車」は載っているのか。
載ってました。
志”どう-志ャ
「自動車」[米語Auto-mobile、英語Moter carノ譯語]
一種ノ車、瓦斯發動機ノ装置アリテ、其動力ニヨリテ、車輪、囘轉シテ進行スルモノ。
昭和7年に刊行された辞典に、このように書かれている「自動車」。調べてないけど、たぶん、「言海」の方にはまだ載ってないんだと思います。
「一種の車」とあるので、「車」という概念は、当時のみなさんにも存在した訳ですが、明治の人は「車」にどんなイメージを持ってたのか、気になって気になって。気になりますよね。
「大言海」の「車」を見てみました。
くる-ま
「車」[くるハ、囘轉ノ義、まハ、輪ト通ズト云フ。或ハ、くるくる廻はる意カ。]
中略
牛、馬ニ牽カスルニ、牛車、馬車、アリ。人に牽カスルニ、荷車、人力車アリ。蒸気機関ニテ 牽クニ、汽車アリ。
後略
こんなイメージだったのでした。「大言海」では例文を、万葉集から引用してるからすごい。
「戀草ヲ 力車ニ 七車 積ミテ戀フラク 吾ガ心カラ」
「力車」は、「物ヲ積ミテ 、人ノ力シテ運ブ車」だから、この戀(恋)の重たさが伝わってきます。中西進先生もビックリ。
自動車の話でした。
昭和7年に刊行された「大言海」に掲載された「自動車」。
日本でも、自動車が走り始めてた時代、という訳ですな。トヨタの、このページによると、昭和7年にダットサン商会が、翌年に豊田自動織機製作所自動車部が設立されてるから、現在に至る日本の自動車メーカーが産声を上げてた、まさにその時代であった訳です。
でもその頃にはまだ「駐車場」という概念はなかったようで、大言海には「駐車」も「駐車場」もありません。
世の中、思いもかけなかった、想像もしてなかったようなものが、出現します。
100円パーキング、コインパーキングが、こんなにも主流になるとは、10年前には想像もしてなかったですきんね。
朝っぱらからヤチもない話を長々と書き連ねてしまいました。
さあ、そんなことより、今日も仕事仕事。
「働草ヲ 力車ニ 七車 積ミテ働ク 吾ガ心カラ」