彼岸へ〔6003〕2019/09/22
2019年9月22日(日)雨
お彼岸。明日が秋分の日だから、明日が中日。今日、御墓参り、という方も多いでしょうな。
まあ、彼岸という言葉の由来とか、いろんな解説があるので、ここでは省略。
でもね。ウィキに書いてることを、ちょっとだけ。
極楽浄土は、みんな知ってるように、西にあります。西方浄土というくらいで。で、春分の日と秋分の日は、お日様は、真東から上がって真西に沈む。だから、遥か西の極楽浄土に想いを馳せたのが、彼岸の始まり、と書いてます。彼岸は向こう岸だから、迷いとか煩悩の流れる川の、向こう側だ。向こう側の、涅槃。
涅槃は、悟りをひらいた者だけが行ける場所。人間、普通に死んでも、涅槃に行ける訳ではない。輪廻転生。悟りをひらいた者だけが涅槃に行ける訳で、そこに行くために、みんな修行している。
というのが、まあ、僕らの浅い浅い理解ね。
で、ウィキの話を続けるけど。今日の話の最初に「ここでは省略」なんて書いたけど全然省略してないではないか、というご意見は、心に刻んどきます。
ウィキの話を続けるけど、日本で最初に彼岸会が行われたのは806年で、早良親王のために、七日金剛般若経を全国の国分寺に読まわしめた、と日本後紀にあるそう。
早良親王というと、祟りで有名な人物ではないか。潮江天満宮にも、早良宮、鎮座まします。日本の祟り神の中でも大関級の早良親王。
だから、最初の彼岸会って、祟りを鎮める意味合いが強かったのでしょうか。だとすると、何故、彼岸なのか。たぶん早良親王は、祟ってる訳だから成仏してない。つまり涅槃には行ってないから、彼岸に行ってないはずなのに、彼岸会とはこれいかに。
僕の浅い仏教知識では、ここまで。ここから先は考えるの、やめましょう。
ともかくお彼岸。
あちらこちらに彼岸花。
日本の、祖霊崇拝の風習が、いつしか仏教と結びついてお彼岸になった、という説明は、そうなんだろうと思います。この「いつしか」が良いね。いつ、誰が、どういう理由で、どうやって、というのがスルーされて「いつしか」。
この感じが、日本らしくって、落ち着きます。
大言海にもありますぞ。いつしか。
いつ-し-か
(二)知ラヌ程ニ。イツノマニヤラ。
捨玉集「穂ニ出ヅル、門田ノ稲葉、今朝見レバ、いつしか重キ、秋ニ白露」
いつしか季節も、秋。暑さ寒さも彼岸まで。
さて。今日は僕も西へと向かいます。西方浄土ではなくて中村ですが。
この写真は、今朝の鏡川。鏡川大橋。この川の此岸は高知1区で、彼岸は高知2区。衆議院選挙ね。此岸はともかく、彼岸はなかなか大変そう。
さあ。そろそろ彼岸方面へと出かけます。