飛鳥山〔5882〕2019/05/24
2019年5月24日(金)晴れ
東京。
昨日、飛行機でやって来ました。業界団体の総会と、それに合わせてのお客様訪問などなど。泊まってたのは、池袋。池袋に泊まるなんてーのは、いつ以来だろう。今日は埼玉方面に仕事があるので、泊まりは池袋にしてみました。
渋谷とは全然違うし、新宿ともまた違う雰囲気の池袋。これも現在の日本の姿のひとつ。この雰囲気の猥雑さ、僕は、結構好きです。
今朝は5時過ぎに起き出して、王子方面へと走りにいってました。目的地はここ。飛鳥山。
飛鳥山へ登るのは2度目。以前、都電荒川線沿いを始点から終点まで走ったとき、登りました。2015年10月のこと。もう、4年近く前になるのね。そんなになるのか。
飛鳥山は、江戸の平野に突然盛り上がる小山。標高は25.4mらしい。東京23区で一番高いのが標高25.7mの愛宕山だとしたら、2番目に高いのが、飛鳥山になるんですかね。
ウィキによると、飛鳥山は東京都で一番低い山、とされてるらしい。すると、東京23区内には、愛宕山と飛鳥山しかないのか?
どうでも良いけど、どちらも更新世段丘。愛宕山は下末吉面で、今朝の飛鳥山は武蔵野面ということくらいは覚えておきたい。
さて。飛鳥山。更新世段丘の盛り上がりが特徴的に残された、小山。石器時代から、界隈には人が住んでたと言います。ここが公園になり、江戸の人たちに親しまれるようになったのは吉宗将軍の頃。その頃、江戸ではお花見の名所といえば上野の山。それくらいしかなくて、風紀が乱れてきたので、吉宗さんが新しい花見の名所をつくろう、と考えて整備した、ということになってます。偉いぞ、吉宗さん。
飛鳥山でのお花見は、仮装とかも許されてたので、いろんな人たちが仮装してお花見をしたりしてたそう。その楽しそうな賑わい、想像できますな。いや、楽しそう。僕も、その頃居たら、きっと仮装したりしてたんだと思います。オダチですきに。江戸庶民にとって、飛鳥山のお花見は、特別なものだったのかも知れない。
吉宗将軍が庶民に解放する公園として飛鳥山を整備したのを記念して、王子権現の住職が建立したのが、この写真の石碑。読めません。難しくて。これ、建立された当時から難解な石碑として有名だったんだそう。飛鳥山の由来や、吉宗さんの植樹、寄進などの経緯が刻まれれるらしいが、専門家でないと読めない、立派な石碑。まあ、それはそれで良いのかも知れんけど。
飛鳥山。前回来たときは、博物館へ寄りました。東京の地質地層、成り立ちがよくわかる、秀逸な博物館で、ビックリ。タモリさんも喜びそうな博物館でした。
飛鳥山で思い出すのは、柳家喬太郎さんの落語、「鬼背参り」。おにのせまいり。
これ、古典落語と思ってました。実は、夢枕獏さんが原作の新作落語だったんだ。いや、見事なできばえ。ひょんなことから聴くことがあったんですが、初めてこの落語を聴いたとき、泣いてしまいました。大泣き。ネタバレになったらいかんので詳しくは書かんけど、良いお話でした。その噺の中に、飛鳥山が少し出てくるんですね。飛鳥山が江戸庶民に親しまれてたという事実を、キチンと盛り込んだしつらえになってるのも、流石に夢枕獏さん。
そんなこんなの飛鳥山RUNを堪能し、ホテルに帰ってシャワーを浴びて。さあ。今日は1日、みっちりと東京で働きます。何歩歩くことになるんでしょうかね。
昔の江戸人は、歩いて飛鳥山とか向島とかへ遊びに行ってた訳で、現代人は歩くのは少なくなったと思うけど、高知県人は更に、東京人の半分も歩いてない訳で、こんなことではいかんな、といつも感じる、東京出張なのでありました。