近寄って、よく見る〔5637〕2018/09/21
2018年9月21日(金)薄曇り
昨夜遅く、汽車で帰ってきました。駅弁食べてビールを飲んで、土讃線の振り子特急に揺られると、爆睡だ。気が付いたら土佐山田駅。もう、高知は近い。一杯飲んで後免と言ったら、さあ、高知。
これ、昔の花の友のコマーシャルの歌詞ね。覚えてるかな?
昨日のにっこりの表題は「省後免」。省ごめん、か。なんか、反省しまくっている感が満載ですな。国鉄になる前、鉄道省が運営していた後免駅が、省後免だった時代。
昨日、三公社五現業などという単語を数十年振りに使ってしまいました。僕らが小学校の頃の教科書には、載ってました。社会のテストに出たりしましたもんね。
三公社は、電電公社、専売公社、そして国鉄。そう。国鉄が「公社」である、というのが引っ掛け問題になってましたね。罪のない小学生は、一生懸命考えて、電電公社、専売公社、そして交通公社と解答したりしてた、あの時代。交通公社は「公社」ではなくて株式会社。国鉄が「公社」である、ということを知っていると、人より少し社会の点数がたくさん取れた、あの時代。
三公社は、戦後の占領期に、労働政策、雇用政策の一貫としてできたもの、と、ウィキに書いてます。国家公務員が直接運営するのを避けた訳だね。なるほど。
NTT、JT、そしてJR。戦後からの社会環境の変化の中で、そう変わってくるのは必然だったと思う。けど、国鉄の分割はどうだったんだろう。結局、JR北海道とJR四国は、単独での採算をとっていくことが非常に厳しく、路線の廃止も続くことになりました。今も、赤字路線の存廃については議論が喧しい。JR四国の運営が厳しいのは、その経営陣や経営手法に問題があるから、と、東京の人は言うかも知れない。JR東日本は、経営が優れているから優良会社なんだ、と。これは、明らかに違うよね。
こうやって見てくると、あそこで「分割」したのが良かったのかどうなのか。「分割」するのであれば、もっと地域のことを考えた、つまり地方の疲弊や衰退が進まないような方法を考える必要があったのではないか、と、思えたりします。
写真は、今朝、夜明け前の潮江天満宮。朽ちた切り株の上を、ズームマクロで撮影してみました。暗かったので、スマホのライトで照らしながらね。
このオレンジ色と白色の胞子嚢みたいなの、肉眼でほとんど見えません。特にオレンジ色のは、汚れのようにしか、見えない。
白っぽいプツっとしたものが少しだけ見えたので、それをズームで撮影したら、オレンジ色のが写ってた、というのが真相。
これ、粘菌ではなさそう。僕には判定できない。キノコやカビの類いなのかも知れません。
でも、肉眼では見えない風景の中に、こんなにも不思議でキレイな生き物がいる、ということは、すごいと思いました。僕らが気付かないだけで、よく見たり、調べたりすると、そこには素晴らしい世界が広がっていたり、する。
表面だけ、離れた場所から見ても、本当のことはわからない。表層的な現象だけで議論すると、ものの本質から離れていってしまう。JR分割の話ではないけど、そんなこと、よくあると思う。
近寄って、よく見て、本質を見極める。仕事も同じ。
さあ。仕事仕事。