豊ノ島関〔5631〕2018/09/15
2018年9月15日(土)晴れ
嬉しい。いや、ホントに嬉しいね。この記事。豊ノ島が4連勝で勝ち越しを決め、十両復帰を確実にした、という高知新聞の記事。
豊ノ島。また、豊ノ島関と呼べる日がやってくるのか。本当に感慨深いものがあります。
このにっこりひまわり、右下の「日記検索」で検索できる仕組みになってますが、「豊ノ島」で検索してみてください。どっさり、記事が出てきます。それだけ僕は、豊ノ島のファンなのであります。
今場所は稀勢の里がどうなるかというところが注目されてるけど、僕にとってはそんなことより豊ノ島だ。
日記検索で検出される一番古い記事は、2007年2月5日。でもこの時は、まだ、それほど気にもしてませんでした。しかしその年、豊ノ島は大活躍することになる。
2007年4月12日、豊ノ島関のことを詳しく、リスペクトを込めて書きました。身長は170cmもない。小兵だけど、小兵に見えない身体の大きさがあり、そしてあのずば抜けた身体能力。でもね、豊ノ島の一番の魅力は、その人間性だと思う。テレビのバラエティ番組とかに出演したら、その頭の回転の速さもよく判るよね。お人柄も。
どんどんと昇進していた頃、思わず弊社のヨーグルトセットを送ったことがあります。頑張って欲しいとの願いを込めて。そしたら。会社に電話がかかってきました。「豊ノ島です。」と。直接ご本人からの電話に驚いたのでありますが、その時の誠実な電話での御礼は、今も忘れられません。そして、実家の豆腐屋さんの豆腐詰め合わせセットまで送って頂きました。
関脇を幾度もつとめた強い力士、豊ノ島。いろんなことがあっても、必ず這い上がってきた豊ノ島。でも、2年前の7月、アキレス腱断裂。休場が続いて幕下に落ちてしまいました。「関取」ではなくなった、豊ノ島。
十分実績を残した力士なので、普通ならばここで引退を考えてもおかしくなかった。彼の能力なら、指導者にもなれたし解説者にも、そしてテレビでも活躍できただろう。しかし彼は再び「関取」を目指すことを選んだのでありました。
もう少しで十両、というところまで行って、どこかを怪我する。そんな繰り返しがあり、僕らも、やきもきしながら待ち望んだ十両復帰。
今年の1月、幕下5枚目まで戻してくるも、また怪我をした、という日記を書いてます。そして、十分頑張ったよ、と声をかけたいと書いたけど、彼は諦めなかった。そして、昨日の勝利で十両復帰を確実にする。
花道を引き揚げる途中、壁にタオルを当て、泣いていたといいます。その記事を読んで、僕も泣いてしまった。すごい男だ、豊ノ島。
自分の仕事への思い。諦めない気持ち。執念。周囲の人たちの支え。そして豊ノ島が醸し出す空気感。尊敬すべき男、模範にしたい生き様、豊ノ島。僕らが見習うべき男、豊ノ島。
本当に嬉しい記事でした。