「堀川」について考える〔54〕2003/06/09
2003年6月9日(月)晴れ
明るい太陽の下、気持ちの良い1週間が始まりました。張り切って仕事するぞ~!という気分になりますよね、こんなお天気は。
さて、写真は高知市内「堀川」。浦戸湾から街中へ掘られていた、水運の為の水路です。写真右手は城下三番所のひとつ「三ツ頭番所」のあった農人町、左手は九反田。現在は、この先、高知市文化プラザ「かるぽーと」の前までが水路ですが、昭和40年代くらいまではもっと街中まで入っちょりました。土佐橋の下で電車通りをくぐり、中種の横を通ってはりまや橋の下をくぐりぬけます。そう、はりまや橋の下を流れよった川が、この堀川なんですね。はりまや橋をぬけると大丸前から新京橋をくぐり、文字通り「堀詰」で終点です。
確かに埋められる前の堀川はドブ川みたいになっちょりましたが、きちんと水流を整備して、櫓舟の行き交う水路として残しちょったらねえ、と思うひまわり太郎です。(そうなっちょったら、お街でお酒を飲んだ後、舟で家まで帰れたりします、ひまわり太郎は。)
はりまや橋の下はやっぱり川が流れよらんといかんろう。