歳の暮れの空気感〔5372〕2017/12/30
2017年12月30日(土)晴れ
穏やかな年の瀬。今年も残すところ、今日と明日。弊社の営業さんたちは、今日までお仕事。ご苦労様です。
毎月、第1、第3、そして第5の土曜日は、朝、営業さんたちが会社周辺をお掃除します。今朝は今年最後の清掃日。一年の締めくくり。ああ。心地良かった。
朝日を背景にしているのがひまわり乳業南国工場。この道路は、立田から空港方面へとつながる県道。その県道脇を掃除するのは、今年入社したSさん。いつも元気なSさんは、今年、とても会社の空気感を良くしてくれた功労者。お疲れ様でした。ありがとうございました。来年もよろしくね~!
今年は空気感の向上を大きなテーマにして取り組んできました。まだまだ。まだまだ道は遠いですが、少しづつ、ひとつづつ、前へ進んでいる実感は、あります。ひまわり乳業で働くことで幸せを感じ、生きがいを感じてもらえるようにしたい。それは、働く皆さんだけではなくて、そのご家族も。そして、お客様も幸せになる。
この朝の風景には、そんな会社への道程が刻まれていると信じています。良い、年末の朝の風景。
掃除をしていると、近所の方に「ひまわりかよ。ご苦労様!」と声をかけて貰えるようになったのも、本当に嬉しいこと。
この西側に、昔からの集落があり、そこを南北に小さな道路が走ってます。昭和8年測量の、参謀本部作成地図があるので見てみると、そこの正確な地名は咥内。こうない。その南、国道55線を挟んで存在する集落が、物部。
昔は、そこもここも、物部川対岸の上岡もひっくるめて物部郷だった。
昭和8年の地図には、この道路は見えません。ここは田んぼ。一面の、田んぼ。
その田んぼを突っ切るように、この道路が建設されたのはいつなのか。
戦後間もなく、1948年米軍撮影の航空写真を見る(高解像度表示で見てくださいね)と、この道路はすでに開通し、まっすぐ南へと走っています。その行き先は、飛行場だ。
そう。この道路は、土佐電気鉄道の立田駅と、飛行場を結ぶようにつくられてます。そこから考えるに、太平洋戦争中、海軍が高知航空隊を創設して基地と飛行場を作った際、物資や人の輸送用につくったのが、この道路だと思う。たぶん、そう。それ以外の用途は考えられません。
もし、海軍の飛行場がなければこの道路は存在していなかったのかも知れません。
もし、ということを考えると、海軍は、物資輸送に、立田から基地まで鉄道の引き込み線を引くことは考えかったのだろうか。いや、検討はしたと思います。
もし、鉄道が飛行場まで引かれていたら、ここには今もこの道路に並行して鉄道が走っていたのかも知れません。
すると、現在の高知空港には、高知駅から鉄道でのアクセスがあったのかも知れない。
ちょっとしたことで、未来は変わってゆく。本当にちょっとしたことで。
この、今朝のちょっとした風景が、未来のひまわり乳業につながっているのかも知れない、と考えると、少し楽しい冬の朝。こんなちょっとしたことの積み重ね。
さあ。来年は、もっともっと頑張ろう。