中村のたいこまん〔5342〕2017/11/30
2017年11月30日(木)曇っちょうけん
今日は中村。今は四万十市になってしまった中村。四万十市になっても、JRの駅は中村駅で、弊社の支店は中村支店。
中村支店は、昭和37年に、県西部の酪農振興の受け皿工場としてスタートしました。高知牛乳食品株式会社中村工場だ。当時は、国道も狭く、くねくねで、高知県中部と幡多地域とは、かなりの時間距離がありました。牛乳缶を積載したトラックが、上の加江近くの海岸線の狭い道路を通っていて、海に落ちかけ、松の木に引っかかった、などという伝説も残ります。
これは、幡多にも牛乳工場が必要だ、となってできた、中村工場。
今は、高知市から二時間ちょっとで来れるようになりました。なので、製造は南国工場に集約して、支店、物流センターが残るばかりの、中村。
国鉄土讃線が、土佐佐賀駅から中村駅まで延伸したのが昭和38年で、中村工場ができた翌年。
僕がまだ小学校低学年の頃、機械の部品(ベアリング)を持たされ、汽車に乗ってやって来たことがあります。急いで機械を修理せんといかんかったのでありましょう。汽車に一人で乗るのが楽しかった記憶が蘇る。
その当時、中村駅は田んぼの真ん中。周囲には何もなかった。当時の航空写真と現在を比べてみるとよくわかります。今日の写真は、その中村駅前から北へ少し行った場所。「さつき」と言えば、中村では誰でも知っている。その前。そこに「たいこまん」。
おう。たいこまんだ。
あの食べ物を「たいこまん」と呼ぶのは、高知と、愛媛の一部らしい。「たいこまん」で検索すると、高知のことが出てくるもの。標準語では「大判焼き」でしょうか。と、思うて「大判焼き」で検索しても、高知の記事ばかり出てくるではないか。大判焼きこそ、高知オリジナルの呼び名かも知れない。で、どうやら標準語では「今川焼き」だ。これが、全国的に通じる名称。でも、高知で「今川焼きってどんな食べ物?」と道行く人に質問しても、たぶん、ほとんどの人が知りません。
そうそう。追手前小学校の横、今のひろめ市場のところにあった「やまや」では「回転まん」だった。やまやの回転まん。調べてみると、「回転焼き」と呼ぶ地方はあるけれど、「回転まん」は、なかなかない。
高知では、店によって「太鼓まん」「大判焼き」「回転まん」と、様々な呼び名で親しまれ、決して「今川焼き」ではありませんでした。
ここ中村でも「たいこまん」なんでしょうかね。久々に、食べたくなってしまった。
当たり前のことが、当たり前でない。それはそれで、良いと思う。
今、車が点検に入ってまして、代車に乗ってます。この代車、国産(トヨタ)なのに、ウィンカーがハンドルの左で、ワイパーが右。普通と反対。これ、慣れません。
必死になって注意してないと、交差点でワイパーを動かしてしまう。ライトを点灯しようとしてリアワイパーが動き、慌てて止めようとしてウィンドウォッシャー液を噴出させる。ああ。当たり前のことが当たり前でない。
当たり前のことが当たり前でないこと、この世の中ではよくあります。
だから、面白い。僕らの地方製造業にとって、そこは大きなビジネスチャンスだったりする。たいこまんとウィンカーの話は、全然関係ないけど。