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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

堺事件の堺〔5340〕2017/11/28

堺事件の堺

2017年11月28日(火)晴れ!

今日は大阪。朝5時に家を出て、車でやって来ました。東大阪、神戸、堺とお客様をまわらせて頂きます。で、堺のお客様の近くを地理院地図で見ておりましたら、「土佐十一烈士墓」というのを発見。そうか。ここは堺か。

 

堺事件。

このにっこりでも幾度かご紹介した堺事件は、堺事件というくらいで、堺が舞台でした。

慶応四年。大政奉還も終わり、新しい世の中へと動き始めていた時期。港町である堺を警備していたのは、土佐藩士でした。

その頃、大阪の港湾を測量していたフランスの軍艦水兵と、警備の土佐藩士が揉めます。その原因については様々な議論があって真相ははっきりしない。

とにかく、土佐藩士が発砲して、フランス兵11名が死亡、多数のけが人が出るという騒ぎになってしまった。

開国路線を走る新政府としては、国際問題になるのは避けたい。

そこで、堺の妙國寺境内にて、20人の土佐藩士が切腹する、ということで事態の収拾を図ったのでありました。

結局、11名が切腹したところで、フランス側からの申し入れがあって中止になった、という堺事件。その切腹は、自分で内臓を掴んで投げつける、などの凄絶なものであったと言います。

11名で終わったのは、あまりの凄絶さにフランス側が中止を要望した、というものから、亡くなったフランス兵の数が11名だったので、それに合わせてフランス側が中止した、というものまで、諸説あるのはご承知の通り。

 

土佐藩八番隊。隊長は箕浦亥之吉。僕が通った高校の近くに、その生誕地の碑があることを知ったのは、高校を卒業して20年も経ってから。毎日前を通っていたのにね。

土佐藩六番隊を率いたのは、西村佐平次。その順番で切腹し、3番目が池上弥三吉。

昔、土佐史談会に入会してすぐに、大津地区の史跡巡りに参加しました。その際、丘の上の墓所で、堺事件で3番目に切腹した人物の墓、というのを説明されました。史談会というのは、なかなか細かい歴史まで勉強するんだ、と感心しましたが、今になってみれば、確かに大事な史跡ということに思い至る。

お墓。

そう。たぶん、妙國寺で切腹した遺体は、ここに埋葬されたのでありましょう。そして、遺髪かなにかが土佐へ送られ、土佐にも、お墓があるということだろう。

 

この右手が妙國寺。

この左が宝珠院というお寺さんで、ここに、十一人のお墓が並んでいます。でも、宝珠院は幼稚園になっていて、朝、通園してくる親子連れで賑わってました。

入り口前の、この「史跡土佐十一烈士墓」という昭和13年に建てられた標柱だけ、撮影してきました。

 

園内を覗くと、庭の隅の方に、墓石が並んでいるのが見えました。

幼稚園に、切腹した土佐藩士の墓。

そんなことは何も知らず、無邪気に登園してくる園児たち。なんというコントラスト。

 

平和のありがたさが、身にしみる。そんな堺の、朝の風景。


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