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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

道端に転がる戦争〔5285〕2017/10/04

道端に転がる戦争

2017年10月4日(水)晴れ

少し風が強い朝。

ここは高須。介良通り。電車通りを東へ進むと、高須小学校の東に「介良通り」という電停がある。ご存知ですよね。そこから斜め南へつながる道が、介良通り。昭和23年、米軍が撮影した航空写真(高解像度)をご覧ください。介良通りが、往時の幹線道路であったことがよくわかる。

大正期、電車を後免方面へ通す計画が策定された際、現在の舟入川沿いのルートを走らせるのか、介良通りを通って介良を抜けるルートを通すのかで議論があった、という話も、この航空写真を見ると完全に理解できます。

で。その介良通りの、南国バイパスとの交差点。その南側。電柱の下に、かつて標柱であった白い木が横たわってます。「部之跡の」といった文字が、見える。これは、向こうに見える山に、第11師団司令部があったことを示す標柱。

2009年10月24日に撮影したのが、これ。こんな感じで立っていた、標柱。ここから1500mの場所に「嗚呼 錦兵団司令部之跡の碑」があることを説明する標柱。最近、その標柱が見当たらんなっちょったので、どうしたものかと思いよったら、こんなところに転がされてました。根本からポッキリ折れて。

 

錦兵団とは、太平洋戦争末期、あの向こうの鉢伏山に司令部を置いて米軍上陸に備えた部隊、陸軍第11師団のこと。元々は善通寺に司令部があり、師団長は中将。その支配下に、朝倉の陸軍第44連隊があった。連隊長は、大佐だ。

昭和20年8月15日の終戦にともない、役割を終えた錦兵団。その年の9月15日に完全に解散となるが、その際に、最後の師団長大野中将の揮毫で「嗚呼 錦兵團司令部之跡」と刻まれた記念碑だけが残された。今も、藪の中に残る、この碑

近年は周辺も荒れ放題。訪れる関係者も高齢化が進み、また少なくなったのでありましょう。その記念碑の存在を示す介良通りの標柱も、今はこのありさま。少し、寂しいね。

 

陸軍第11師団というと、明治期から数々の戦争で戦った部隊だ。有名なのは、日露戦争での旅順攻撃。乃木大将率いる第三軍に属したのが、第11師団。東鶏冠山のロシア軍要塞を攻撃し、夥しい犠牲を出したのは、第11師団でした。

弊社のすぐ近所に、その、日露戦争旅順攻撃で、東鶏冠山攻撃中に戦死された方のお墓があります。陸軍第44連隊所属。なので、第11師団だ。墓石に、その経緯が詳しく刻まれています。身近に残る、日露戦争。

 

そして、この道端に転がる標柱は、太平洋戦争末期、米軍上陸が現実のものと思われていた時代の、痕跡。

もし、あの日、戦争が終結せず、陸軍が主張していたように本土決戦が行われていたら、日本という国家はどうなっていたのか、想像もできない。

もう、人々の記憶からも消えかかっている錦兵団の貴重な痕跡すらも、もう、こんなことになりました。道端に転がる、痕跡。

 

と、まあ、このにっこりひまわりも完全に通常モードに戻って参りました。

さあ。仕事仕事!


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