天満宮と、星〔5270〕2017/09/19
2017年9月19日(火)秋晴れ
台風がいってしまうと、一気に秋の風情。涼しい朝の風が心地良い季節になってしまった。まだ、日中は暑くなりそうですけんどね。
ここは今朝、4時前の潮江天満宮。誰もいない境内。まだ、誰もお参りに来ていない境内には、微かに虫の音が響くばかり。拝殿脇のお札売り場の、おみくじ販売機の上にカメラを置いて撮影してみました。潮江天満宮、このにっこりでは数え切れないほどご紹介してきてますが、このアングルは初めてだ。美しい秋の星空と、参道の灯り。
空に一番明るく輝く星は、言わずと知れたシリウス。冬の大三角形を構成する、おおいぬ座のシリウス。左上隅に、同じく冬の大三角形を構成する、こいぬ座のプロキオン。この二つの位置から、この写真には写ってないけど、ベテルギウスの位置も想像できますよね。
もう、朝の空には冬の星座が降っている。
シリウスは、幾度もご紹介してきたように、全天で2番目に明るい恒星。1番目は太陽なので、実質、一番。でも、直径は太陽の1.7倍、質量は2倍程度だが、光度は太陽の25倍。明るい明るいシリウス。プロキオンはというと、直径は太陽の2倍でシリウスよりも大きいけれど、質量は1.4倍。光度は太陽の7.7倍だ。シリウスの方が近くて明るいので、あんなにもギラギラと輝く。
天神様と頭上の星、ということで言うと、京都の北野天満宮。「星欠けの三光門」が、北野天満宮雨の七不思議のひとつに数えられてます。三光門というのは、日・月・星の三つの光を意味する門で、門には日の彫刻、月の彫刻があるけど、星の彫刻が、ない。この不思議。
どうやら、平安時代の御所の場所から北野天満宮に向かってお祈りする際、三光門の真上に北極星がくるので、それを三光のひとつに見立てた、という話にかありません。北野天満宮のHPに書いちゃありますきんね。なるほど、面白い。
三光門で思い出すのは三光丸。去年、企業視察でお邪魔した、奈良県御所市の山あいにある、株式会社三光丸さんは、和漢の生薬を配合した胃腸薬をつくりつづけて700年。正確に言うと、再来年で700年というすごい企業でした。創業1319年。
伝説では、大和の豪族越智氏のご当主が北極星の神より霊験を得て「紫微垣丸(しびえんがん)」の製法を授かったのが、その始まり。1319年。その17年後、後醍醐天皇から「三光丸」の名前を賜り。爾来、「三光丸」として今に至る、という歴史だそうだ。なのでこの三光丸の三つの光も、日・月_星である訳だ。しかし。
後醍醐天皇が信じた三光思想では、その星は、金星。北極星ではないのだとか。平安時代の北野天満宮の三光は北極星だったのにね。
そこで推理すると。
最初は北極信仰との関係でつくられた紫微垣丸。そこに後醍醐天皇が登場し、自分の信じる三光信仰を持ち込んで、その名前をつけさせる。今に至る。
間違うちょったらごめんなさい。個人の妄想です。
ともあれ、良い会社でした。700年続く会社、というのは、それなりに理由がある。近代的で清潔な工場ですが、その製法は、700年の伝統を受け継ぐもの。薬が、それだけの歴史を持つというのは、すごい。長い長い年月支持だれてきた、ということは、間違いなく薬としての役割を果たしてきた、という訳で、これからも末長く続いていくことが予感されます。
そして、良い空気感の会社でした。永い伝統と良い空気感。僕らも、これから長い伝統をつくりながら、空気感を向上させていかねば。
この写真の風景から、どんどんと話が膨らんでしまった。書き始めた時は、こんな今日のにっこりになるとは、思ってもみませんでしたが。