大安食堂、クリーニング屋、金高堂、町田病院、ショッパーズ〔5265〕2017/09/14
2017年9月14日(木)晴れ
心地良いお天気の朝ですが、台風は心配。来てますね。この週末直撃予報ではないか。被害のないことを心から祈ります。
ここは電車通り。会議があって、やって来ました。この、車が並んでいる南北の通りが中の橋通り。道路標示にあるように、これをまっすぐ北へ行くと、愛宕の通りを抜けて正蓮寺、土佐山へ。
この界隈の風景も随分と変わりました。
僕が子供の頃。
追手前小学校へ通い、この周辺を遊び場にしていたあの時代。右側のシルバーの建物か、その北隣だったか忘れたけど、「大安」という食堂があった。とにかく、安かった食堂。
普段うちの家族が近所の食堂を利用するとすれば、家(会社)の近くにあった百万食堂だったので、大安食堂には数えるほどしか行ったこと、ありません。でも、安かった。
その北側。茶色いビルの所は、大きなクリーニング屋さんでした。たくさんのアイロン台みたいなのが店内に並んで、蒸気がモワモワしていたクリーニング屋さん。
そこから北へ行くと金高堂。今もビルは残ってますが、本屋さんはこの向こうを左折したアーケード内のチェントロへ引っ越しました。
そう。そのアーケードは帯屋町。高知一の商店街。写真には「OBIYAMACHI」と書かれた大きな屋根が見えるけと、昔はあんなの、ありませんでした。
でも、今からは考えられないくらいの人で賑わっていた、帯屋町。
明治大正にかけては官公庁や病院が多かった町が商店街に変貌していったのは、大橋通りに公設市場ができた頃からではないか、という考察をこないだやりました。
病院街の名残で、僕らが小学生の頃には、まだ、帯屋町二丁目のアーケードに大きな病院、町田病院がありました。病院の背中が小学校の校庭に面していたので、秘密の場所から敷地に出入りしたりしていたあの頃。
その大きな病院は旭町に移転し、跡地にショッパーズができました。ショッパーズプラザコウチ。この中の橋通りに面する場所まで、ショッパーズ。
そのショッパーズが色んな変遷を経て閉店したのが2005年11月末日だ。このにっこりでも感慨深げにレポートしてました。
それから10年、そのまま放置。その場所に、新しい施設チェントロができたのが2015年。
ひとつの大きな商業施設であったショッパーズの建物は解体され、チェントロの建物と、東側のコンビニとかがある建物は別々になった。元々、敷地は別々だったんだ。
そうそう。町田病院があった頃も、東側の中の橋通り沿いは病院とは別で、お店屋さんが並んでた。
高知大丸が現在の場所に建つまでの8年間、その、町田病院の東側、中の橋通りとの間に建てられていたのが、初代高知大丸だ。昭和22年にできて、今の場所に移る昭和30年まで。
なので、僕は知りません。そこにあった高知大丸のことを。
では、調べてみよう。地理院地図。
昭和22年9月、米軍が撮影した航空写真。まだ、高知市の市街地は焼け野が原からの復興途上。空き地が目立つ高知の市街地のど真ん中に、町田病院の建物が見えます。追手前高校の時計台は奇跡的に焼けずに残っています。その南に、戦後のバラックづくりの追手前小学校の校舎。その南に町田病院。町田病院の東隣。これだ。まだできたばかりの高知大丸さんの建物が、ハッキリと写ってます。
長い年月の間にどんどんと変わっていった風景。
変わらないのは、追手前高校の姿くらいかも知れない。あの高校の校長室には、米軍機から投下された焼夷弾が開けた穴が、今も、残されていると言います。今度、見にいってみなくっちゃ。