フリーアドレスと城下町〔5223〕2017/08/03
2017年8月3日(木)晴れ
昨夜、降りました。良いお湿りになったでしょうか。台風が来てますね。結構ガイなやつ。被害のないことを、心から祈ります。
高知は今、稲刈り真っ盛りですが、台風接近ということで、予定を早めて急いで稲刈りをされている農家さんも多いようです。自然相手は大変だ。
さて。
写真は今朝の本社営業部。最近、大規模模様替えを行いました。こないだの日曜日から今週にかけて。日曜日のにっこりに書いたフリーアドレスとは、こういうこと。
いや~、スッキリした。
このように、普段は机の上には電話機とコンセントしか、ない。仕事をするときは、この右手に置いてある自分用のキャビネットから必要なものを持ち出し、そのキャビネットの上に置いてある自分用のノートPCを持って、好きな席に座る。それだけ。
このフリーアドレスの肝要は、座る場所を決めないこと。なんとなく、いつもの席、みたいに決まってしまうとダメ。
その日その日、空いている席に座り、必要なメンバーで随時集まって情報交換しながら仕事を進める。営業部もいくつかの部門に分かれてますが、部門間のコミュニケーションを深め、空気の通りを良くする。
そう。空気感だ。
ともあれ、机の上からPCやら書類立てやらが消えて明るくなりました。人の顔もよく見える。とりあえず、こんな感じで初めてみよう。たぶん、改善点など、出て来ると思うので、レベルアップしながらね。同じようなメンバーで固まらないよう、最初は注意しておかんといけませんな。
このフリーアドレスを見ていて、藩政期の高知の城下をイメージしてしまいました。我ながらすごい飛躍ですが。
以前にも書きましたが、江戸時代の高知の城下町は、人の動きがかなり流動的でした。城下絵図には、上級武士が住む郭中エリアの住宅図が書き込まれてます。どこに誰が住んでいたのか、フルネームで。
それを詳しく見ていくと、初期、中期、後期とどんどん人が替わっていく。もちろん、替わらずにずうっと同じ家系が住み続ける例もあるけど、それは少数派。殆どの場合、入れ替わりが激しいように見えます。フリーアドレスのように。
保守的な社会であったと思われがちな江戸時代ですが、意外に、流動的であったりも、する。上級武士の地位階級や役回りも、結構変化していた社会が江戸時代。上級武士は、まあ、言うてみれば公務員で、役人。今も昔も、その最大関心事は人事であったのでしょう。
為政者は、人事を固定化せず、できるだけ動かしながら活性化を図っていたのではないか。現代と同じように。藩政期の絵図からは、そんなことを妄想することができて、楽しい。楽しくないですか?
藩政期の城下町の流動性も、このフリーアドレスも、組織の活性化、空気感の向上の為。同じ目的であったという妄想が、朝っぱらから暴走する。