フェイクラジオ体操〔5195〕2017/07/06
2017年7月6日(木)曇りぞな
で、松山。昨日の午後、東京から飛んできました。愛媛県の松山。テレビのニュースでは、九州北部が大雨になったことを報道してます。一昨日の東京での会合には大分の乳業メーカーさんもいらっしゃいましたが、大丈夫でしょうか。まだ被害状況は明らかになってませんが、被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
写真は今朝の松山城。三之丸の公園から城山を見上げてみました。朝の5時半から、あの標高132mの山を駆け巡ってきた、その後。
あいにくのお天気ですが、早朝からたくさんの善男善女が集まってきて歩いたり走ったり。松山市民の憩いの場、松山城址。
この広い場所は三之丸で、向こうの、一段高くなっている場所が二之丸。右端に愛媛県庁が見えてます。藩政期には、藩の重要施設がたくさん置かれ、中堅家臣の屋敷が並んだ三之丸。
明治になって兵営になり、陸軍歩兵第22連隊が置かれたのが、ここ三之丸。終戦まで、ここは22連隊だった。
今は、こんな感じの広い広い公園。良いですね。街中に、こんな感じの広い公園があるのは。ちょっと、羨ましい。高知市民としては。
でもね。ここ、2004年頃までは、競輪場でした。松山競輪は、まさしくここで開催されていた。ほんの、獣数年前まで。そんなこと、微塵も感じさせない美しい緑の公園。
あちこちに、お城の歴史や、ここ三之丸の歴史が書かれた説明板ができてます。しかし面白いことに、歩兵第22連隊が置かれたことは書いてあっても、ここが競輪場であったことはどこにも書いていない。書きたくない歴史なんでしょうかね。でも、ここが競輪場であったことま紛れもない事実で、地理院地図の航空写真を見るとすぐ判ります。
1974年~1978年の航空写真が、これ。で、現在のは、これ。
重ね合わせて見てみると、どこに競輪場のバンクがあったのかもよくわかります。
丁度、この写真を撮っている場所の界隈に、競輪場の痕跡カーブが少しだけ残ってますな。
抹殺された競輪場の記憶。あの頃の場末た雰囲気が懐かしい。
今朝、あの頂上まで駆け上がってみると、丁度、ラジオ体操をやってました。ラジオ体操第二。ラジオに合わせて、十人ちょっとの善男善女が。
僕も一緒に体操ね。
ラジオ体操の放送が終わり、ニュースになるところでラジオが切られる。ああ。6:40分か。そろそろホテルへ帰らなくっちゃ。
山頂から西側へ下るルートを駆け下り、この三之丸界隈を少し散策してからホテルへ。部屋へ戻って時計を見たら、6:35。何故だ?
そう。松山城の山頂でやっていたラジオ体操は、ラジオを録音したものを流していたのだ。あたかも、リアルタイムで流しているかのように。たぶん、6時から。
時計持ってなかったので、なんとなく騙されてしまった。まあ、時間得したみたいな気になったのでそれはそれ。
朝の良い時間を過ごし、弊社松山支店へ。朝礼で、ひとしきり空気感を向上させちょいて、少しお客様をまわってから、帰ります。