国史現在社、大谷神社〔5190〕2017/07/01
2017年7月1日(土)雨
山の方では、かなり降ってます。会社の前の物部川は河川敷の広場近くまで増水し、濁流が押し寄せてます。物部川上流、こないだドローン映像をご紹介した旧物部村では、避難勧告が出されたりしているようですね。大雨にはお気をつけください。
ここは今朝の野市、大谷神社。
雨が降ると、お参りしたくなる神社ナンバーワン。ですが、なんか、久々ですね。久々にお参りしてきました、大谷神社。良い神社だ。
三宝山の西麓、大谷。その地名からもわかるように、山に囲まれた大きい谷間の集落。西側は、野市の台地の方にひらけてます。
谷というくらいで、三宝山の連山からの幾筋かの川が、大谷を通って流れている。野市が不毛の台地であった頃、大谷は、水に恵まれた有利な場所であった訳だ。
そんな訳で、集落の歴史も、この神社の歴史も、古い。
以前、延喜式内社である、などと書いたことがありましたが、あれは間違い。このにっこりひまわりには、時々、そんな嘘が含まれているので気を付けようね。
式内社ではないが、国史現在社。国史見在社とも、いう。ご存知ですか?国史現在社。
式内社は、927年にまとめられた「延喜式」の中に出てくる、当時「官社」に指定されていた神社のこと。平安時代の有力神社、という訳だ。その「官社」には大と小の「格」がある。
土佐には、大社が1座と、小社が21座。それだけ。全国で言うと大社が492座あるので、492分の1。小社は2640座存在し、2640分の21なので、約0.8%だ。まあ、そんなもんか。
で。
式内社ではないが、六国史に記載がある神社を、国史現在社と呼ぶのだそう。ご存知でした?全国に、391座。
六国史とは、「日本書紀」「続日本紀」「日本後紀」「続日本後紀」「日本文徳天皇実録」そして「日本三代実録」のこと。
この大谷神社は、「日本三代実録」に記載されている神社なんですね。なので、国史現在社。
六国史は、国が公式に行った修史事業によって編まれた公式歴史書のこと。「日本三代実録」以後は、そういったものは編まれなくなりました。なんでか知らんけど。
ここでいう「三代」は、清和天皇、陽成天皇、光孝天皇のこと。858年から887年まで。短いぞ、これは。なので、かなり濃密な歴史書にかありません。編者には菅原道眞公や藤原時平の名前が見えます。
その三代実録の貞観十二年(870年)に、大谷神を、正六位上から従五位下に格上げするという記載があり、元慶三年(879年)には従五位下から従五位上に格上げ、という記載もあるとのこと。出世しちょりますな。時の権力者の覚え目出度かったのでありましょうかね。でも、その半世紀後の延喜式には記載がない、ということは、どんな事情があったのやら。
まあ、そんなことはともかく、「日本三代実録」は菅原道眞公も編纂に加わった公式の史書。道眞公と言えば天満宮で、昨夜、行ってました。潮江天満宮の、輪抜け様。夏越しの祓。
すんごい人でしたね~。高校生とかも多い多い。高知の若者が一番浮かれるのは、よさこいを除けばこの日かも知れない。よさこいは、関係者だけが浮かれるけども、輪抜け様は誰でもかれでも浮かれれますきんね。それにしても賑わってました、輪抜け様。
参道に立ち並ぶ露店の数々ですが、最近は照明がLEDなんだ。妙に、明るい。白くクリアに、明るい。風情を考えるとね、もっと暖色系の方が良いとは思うのだが、年寄りの感慨なのかも知れません。
夏越しの祓も済み、邪気も祓いきったことだし、さあ、これから夏本番。もちろん仕事をジャンジャンバリバリ!