久万城址と阪神タイガース〔5092〕2017/03/25
2017年3月25日(土)小雨
冷たい雨。高知ではぼちぼち桜も咲き始めました。が、寒い土曜日になりました。
午前中、色々と用事を済ませて、午後、2時半頃から走りに出ました。冷たい雨の中を走るのは、好き。
今日は高知の市内をたつくった後、北部へ。久万。ひまわり乳業発祥の地、秦泉寺の西。
以前にも書きましたが、その界隈は古代の海岸線。広い広い古浦戸湾の、岸辺。その岸辺の平地には優良農地ができたのでありましょう。久万に、久満荘という荘園が成立したのは826年と言いますき、古い。土佐でも最古の部類の荘園は、久万に成立しました。
その後、南北朝争乱の頃、土佐の北朝方が、大高坂山に陣取る南朝方の大高坂氏に対抗する為、久万の山に城を築いたと言います。1336年のこと。南朝方の幾度もの攻撃をしのいだ、城。
そして、戦国期になると、久万豊後守俊宗が城主となる。源希義の血を引くといわれる、久万氏だ。で、久万氏は、本山氏配下で戦うも、長宗我部元親の軍勢に攻め込まれて降伏。久万城は、元親家臣の久武氏が、居城とするようになったと言う。
その久万の城は、安楽寺山城とも呼ばれたと言います。その城址を、今日は探索してきました。いや〜、難攻不落だ。安楽寺山城。
東側の住宅街の方から、何度か、登頂に臨んでみました。しかし。いずれの道も、山の途中で行き止まり。鬱蒼とした藪。幾度か藪漕ぎ前進にチャレンジしてみましたが、大人の分別でやめました。幾度かのチャレンジで、頂上近くまで行くことはできました。しかし、藪に阻まれ前進できない。
横へ横へと移動していくうちに、出ました。普通の山道に。それを登っていくと、少し広くなた山頂に、出た。久万城址。ここに安楽寺山城があり、本山氏と長宗我部氏の合戦の舞台となっていたのか。
今はこんな感じで、周囲は鬱蒼として、見晴らしは、ない。もちろん、久万城址であることを示すものは、何も、ありません。
頂上から、そのちゃんとした道を下りていくと、途中、お墓が並ぶ日晴らしの良いところに出ました。正面に高知城。高知平野が全部、見える。
南北朝合戦で、ここに城を築いた理由は、完全に理解できました。すごい立地の山ですもん。今日は難攻不落でしたが、頂上までたどり着けて良かった良かった。
ところで。
久万氏は、長宗我部の軍門に下った後、久万衆として活躍します。で、関ヶ原合戦があって山内氏が入国してくると、久万氏は、浦ノ内の灰方へ隠棲。その後郷士となった、久万氏。
時は流れ。
戊辰戦争に、久万一族も従軍。明治になって久万一族は浦ノ内から上阪し、神戸に住むように、なる。
そして、一族の久万俊二郎氏は、神戸に生まれ、旧制高知高校から東京帝国大学を卒業、阪神電鉄入社。
阪神タイガースで長年オーナーをやった、あの、久万俊二郎さんだ。戦国期、この山を支配した一族の末裔が、あの久万オーナーだったのか。
戦国期の城主が久万俊宗で、タイガースのオーナーが久万俊二郎。なるほど。俊か。タイガースと高知は、こんなところで繋がっていたのでありました。
この話は、「秦史談」最新号に、書かれてました。深い深い土佐の歴史と、トリビア。