産土神の、朝〔5014〕2017/01/06
2017年1月6日(金)薄曇り
今朝、夜明け前の空には星は見えない。薄い雲が空を覆う朝。気温はこの季節の朝にしては異様に高い5℃くらいだが、北風が吹き始めており、風は冷たい朝。
ここはいつもの野市、上岡八幡宮さん。今年も、元旦に初詣してから、ほぼ毎朝お参りに立ち寄ってます。弊社の氏神様。いや、正確には産土神。うぶすながみ。
氏神と産土神は、違います。
氏神様は、読んで字のごとく、氏の神様。つまり、一族を守ってくれる神様。例えばこの上岡地区にも島内神社さんとかがありますが、上岡地区に住む島内一族の氏神様なんだと思います。
で、産土神は、その土地の神様。その土地で産まれた万物を守る、神様。それが産土神。
混同されますよね。
最初は氏神様として祀られていた神社が、時間の経過とともに、その近所に住む人々にもお参りされるようになる。そしていつしか、地域の神様みたいになり、産土神に変化していく。それでも「氏神様」と呼ばれ続ける。
まあ、そんな感じで混同が進んでいったんでありましょうかね。まあ、日本の神様は融通無碍。とてもとても融通無碍。なので、時の権力者に上手く利用されたりもしやすいんですね。
神道は宗教なのか。
明治以降、神道、特に国家神道は、時の為政者によって都合の良いように解釈され、利用された歴史がありますね。上手であったのは「神道は宗教ではない」としたこと。
神道は日本人の心に太古の昔から存在する、自然や祖先を敬う気持ちのことなので、宗教ではない、と。日本人なら誰でも持つべき気持ちなんだ、と。
現人神を尊崇せよ、などと言いながら「宗教ではない」というのもなんだかな〜、ですが、そこが上手であったところなんでしょうね。
宗教ではないので、キリスト教や仏教、イスラム教なのの宗教とも競合しない。なので、国家神道の場合は、国民全員に神様を敬え、と言える訳だ。
現代も、そんな感じの論理で神道を崇めましょう、という論旨を掲げる団体があったりしますね。
ご承知の通り、僕は、神社が好き。お寺さんも、好き。
山の中にたたずむ祠や、田んぼ脇の祠、五輪塔。道端のお地蔵さん。全部、好き。
全部、人々の想いがこめられている。それは、正しい意味で宗教なんだと思う。アニミズムが宗教なんだとすれば。それは気持ちの問題なので、「こうあるべきだ」「こちらの方が正統なんだ」などといった議論は僕にとって意味はなく、ただ、そこにある自然や自然にこめられた想いに、厳粛な感慨を抱いてお参りする。まあ、それだけのことなんですね。
話が面倒臭い方向に行ってしまった。
産土神。弊社がある地区の皆さんが、古くから、地域の守り神として尊崇してきた神社。そんな想いに敬意を表し、僕らも、一緒に尊崇していく。これは、大切なことなんではないかと思う訳ですね。
新年も6日目となり、いつもの静かな風情に戻った上岡八幡宮さん。
今年も、静かにお守りくださいね。