月〔4943〕2016/10/27
2016年10月27日(木)晴れ!
昨夜、少し降ったのには驚きましたが、今朝は晴れ。秋空が広がる土佐の空。
写真は、今朝、6時前の野市、上岡。八幡宮拝殿前から見上げたお月様。月齢26。この形は、広義でいうところのミカヅキ。鎮守の森から見上げる、美しい月。
今気付いたんですが、今月は、月齢と日がほぼほぼ同じなんですね。昨夜は10月26日で、月齢が26。旧暦、つまり太陰暦では9月26日でした。
今日、10月27日は、旧暦の9月27日。そんな月も、あります。わかりやすくて、よろしい。
太陰暦は、もちろん、お月様の運行を基本にした暦。日本も、明治時代になるまでは太陰暦。お月様の暦。
ところが。
このところ、日本人の信仰について書くことが多いですが、日本人、お月様に対する信仰というのは、そんなに深くないように、見える。海外では、お月様信仰はもっともっとポピュラーで、お月様が国旗に使われちゅうケースも多い、てな話は以前にも書きました。
特に、中東など、砂漠の多い国。仮説ですが、そんな国では、太陽は怖いもの。炎天下の砂漠は命取りになる。なので、生活しやすい夜のお月様が、信仰の対象になったり、国旗になったり、という話も、聞いたことがある。月の砂漠をはるばると、ですね。
で、日本でお月様の神様、と言うと、やはり古事記や日本書紀にでてくる月読命でしょう。伊奘諾尊によって生み出された、天照大神の弟。素戔嗚尊の、兄。いや、男かどうかは、定かでない。お月様なので、女神みたいな感じなんですけどね。
で、その月読命を祀るのが、出羽三山のひとつ、月山の月山神社。がっさん。
出羽三山は、古い古い山岳信仰の山。羽黒山、湯殿山、そして月山。がっさん、という響きが、良い。
月山と言えばもう一つ。
戦国期、山陰の覇者尼子氏が本拠としたのが、難攻不落と言われた月山富田城。がっさんとだじょう、と、読みます。標高197mなんですが、富士山のような姿。この月山に築かれた富田城をめぐって、幾度も幾度も激しい攻城戦が行われた。
まあ、なんと言うても有名なのは山中鹿助。やまなかしかのすけ。鹿助と書いてしかのすけ。本名は山中幸盛。
尼子氏の重臣で、尼子が毛利によって一旦滅ぼされると、尼子再興を期して何度も何度も何度も何度も戦う。戦には極めて強く、一騎打ちでも幾度も有名な武将を討ち取る。軍が敗走する際には、非常に難しい殿軍をまかされることが多く、しかも、実に巧く戦う。
ウィキの整理によれば、大きく分類しても、山中鹿助による尼子再興運動は第一次から第三次まであり、それぞれ、支配者を脅かすような戦果をあげているんでありますね。
これだけ激しい戦いを繰り広げ、しかも命を落とさない、山中鹿助。
尼子家再興を願い、三日月に「願わくば、我に七難八苦を与え給え」と祈ったという逸話があまりにも有名だが、これは後世の作り話、という説が有力。
しかし、強烈な意志と行動力、そして実力を備えておったのは、間違いないでしょう。
そして、三日月は、山中家家宝の前立ちでも、ある。
三日月に守られた武将が、月山富田城を中心に活躍する。日本にも、月が存在感を持った話が、ありました。
山中家は、鹿助の死後、鹿助の長男とされる山中幸元が摂津の鴻池村に移り、武士を廃して酒造業を興す。そして発展し、鴻池財閥に。