鏡川、花火の準備〔485〕2004/08/13
2004年8月13日(金)素晴らしい快晴!
今日もよう晴れちょります。よさこいも昨日の後夜祭、全国大会で一段落しまして、今晩の鏡川花火大会でフィナーレをむかえます。今年はよさこい期間中ずーっと晴れました。珍しいですね。毎年少しは降るがですけんど、今年は目一杯晴れました。素晴らしい。
さてさて、今朝も鏡川を走って来ましたが、鏡川沿いでは今夜の花火の準備です。写真は、天神大橋と柳原橋の間の南岸。花火大会打ち上げの拠点の一つになっちょります。写真は朝6時頃のものですが、早朝からたくさんの花火職人さんたちが準備をやりよりました。
観賞用の花火は、その昔、14世紀のフィレンツェで始められたとの説が有力です。さすが「花の都」ですな。それがアッと言う間にヨーロッパに広がり、やがてアジアへも伝えられて来ました。日本へも、戦国の時代に伝わって来ました。
その頃の花火はジョワーっと火の粉が吹き出るタイプのものだったようです。ドカーンっと打ち上がる花火が本格的に始まるのはずっと後のこと。
日本で花火と言えばまず「鍵屋」。17世紀の中頃、伊賀、篠原村の弥兵衛くんという若者が江戸へ上って「鍵屋」を創立、きれいな花火が大評判になりました。江戸では、花火と言えば「鍵屋」になったのであります。その後19世紀になって、鍵屋の番頭さん清七さんが独立して「玉屋」を興し、隅田川両国の花火では、両国橋の上流が玉屋、下流が鍵屋ということで2強時代を迎えました。
んがしかし、玉屋さんは火事を起こしてしまい、江戸から放逐されて一代で終わってしまいました。しかし、その名は今に残り、「か~ぎや~!た~まや~!」と呼び親しまれちょります。
しかしまあ、この写真の対岸の土手にはすさまじい量のシートが敷き詰められちょりました。今夜の為の場所取りですね。朝の6時の時点ではもう空いた場所は無さそうでした。皆さんすんごいですね。