下宿屋の横の道、突き当りの垣根を曲がったところ〔4690〕2016/02/17
2016年2月17日(水)晴れ!
冷えますが、東京はよく晴れております。
昨夜は早稲田界隈に泊まっちょりました。なので、今朝は、昔、学生時代に住んでおった中野区上高田、西武新宿線新井薬師前駅界隈まで走ってきました。いや、懐かしい。
学生の頃。
通学は、西武新宿線で高田馬場へ出て、そっから地下鉄。または歩き。でしたが、3年生の頃やったでしょうか、友人がヤマハタウニーという原チャリを安うに譲ってくれ、それで通うようになりました。渡辺貞夫さんのCMが印象的であった、ヤマハタウニー。覚えちょりますか?
で、そのタウニーを友人に譲った後、頑丈極まりない、荷台が広い新聞配達自転車を中古で購入、それで通うようになったことを思い出しました。
その自転車で通うた道を、今日は走ってみた訳だ。しかし。景色は変わってしまい、ほとんど記憶にないような風景でした。もう、三十数年前の話ですきんね。
で。ここ。
この右手の建物。中野区上高田3丁目。アパートではなくて、下宿屋。北向きの3畳一間、台所無し、風呂なし、トイレ共同。電話は大家さんの呼び出し。ああ。そんな時代だ。今も建物が残っちゅうのがすごいですよね。小生より17歳上の従兄弟もここに住んだと言いますき、すごい。
ここに住んだ当時は、周辺を散策したこともなかった。それが非常に悔やまれます。
以前にも書きましたが、かつて武蔵野の景観が広がっていたこの場所。童謡「たきび」の舞台が、この近所、ということを、最近になって知りました。
この向こうの垣根を曲がったところに、今も武蔵野の風景を残すような、景観があります。そこ。
中野区教育委員会が建てた説明板を、転載してみましょう。
「たきび」のうた発祥の地
かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
きたかぜ ぴいぷう ふいている
今も人々に愛唱されている「たきび」のうた。この童謡の作詞者、巽聖歌(本名野村七蔵)1905〜1973)は、岩手県に生まれ、北原白秋に師事した人で、多くの優れた児童詩を残しました。
聖歌は、この詩が作られた昭和5、6年頃から約13年の間、萬昌院のすぐ近く、現在の上高田四丁目に家を借りて住んでいました。朝な夕なにこのあたりを散歩しながら「さきび」のうたの詩情をわかせていたといわれています。
後略
小生が住んだ下宿屋の向こう。垣根を曲がったところに、たきびの風景があったのか。
今朝は、昭和初期の武蔵野の風景を思い浮かべながら、学生時代に思いを馳せ、新井薬師前の立喰そば屋で朝そばコロッケ乗せを食べて帰ってきました。