下水道〔4624〕2015/12/13
2015年12月13日(日)良いお天気
良いお天気の日曜日ですが、年末、色々と用事があって走りに行けちょりません。ああ。走るのに絶好の季節。少し、哀しい。
それはそれとして、昨日は、日本の下水道行政の専門家の方をお迎えしての勉強会がありました。いや、下水道。実に知らんことだらけで、しかも、我々も真面目に考えていかんといかん課題がたくさんあることがわかった、下水道。
江戸時代。
日本は、かなり完成した循環型社会になっちょったのはご承知の通り。農業が発達し、その発達した農業によって人口が増加した日本。しかし、その増加した人口を養うために必要な農業には、大量の肥料が必要となりました。水田は、酸性土壌の日本に適合した、実に良い農業システムですが、それでも肥料が足らない。
そこで、昨日も書いたように里山は草山となり、草肥の供給源として禿山のようになった。家畜だけでなく、人間の下肥も、重要極まりない肥料として重宝され、都市部と農家とは、作物と下肥のやり取りで、持ちつ持たれつの関係になっちょったのはご承知の通り。
幕末に日本へやって来た外国人は、一様に、日本の街を包むあの臭いについて書き残しちゅうのは、そんな日本の農業のあり方からきちょります。
しかし、実によくできた循環型社会。
もちろん、生活排水などは、上水と区別され、下水として流れる仕組みが構築されちょったのも、すごい。
しかし、明治になって産業が興り、様々な廃棄物や廃水が、処理能力を超えて生み出されるようになりました。そこに、コレラなどの伝染病。
ここで、キチンとした公共下水道の必要性が認識されるようになりました。
で、種々の政策が実行され、昭和になってからは微生物を使用した処理も行われるようになったのであります。
しかし、急増する廃水の処理は、まったくもって追いつかない。社会資本の投下が、生産増大の方面へ集中して行われたことにもよります。
小生が子どもの頃の江ノ口川。あの、地獄のような悪臭と色。
実はあの時代、全国的に、多かれ少なかれあのような河川状況が現出しちょったと言います。工業廃水も家庭排水も、かなりの部分は垂れ流し。どこの川も汚かったですね〜。
1970年に大阪へ万博を観に行った時には、大阪の水、カルキ臭くてまったく飲めませんでした。淀川もすごかった時代。
昭和54年になっても、高知県の下水道普及率は30%しかなかったんですね。全国的にも似たり寄ったり。昨日の講義では、その頃の、議員さんの選挙公約には必ず下水道の整備のことが掲げられちょったと言います。それだけ、住民の関心も高かった下水道。
時は流れ、現在の高知県の下水道普及率は78%。全国が89%で、それには劣りますが、かなりの普及率になりました。
下水は、大雨などの際に雨水を排水する、という重要な機能もあるので、高知の場合、水害対策に優先的に資本が投下された、という事情もあります。高知の、大雨に対する強さは皆さんご承知の通りですきんね。
で。
昨日頂いた資料に、こんなのがありました。日本の社会資本の、分野別総ストックの円グラフ。日本の社会資本総ストックで、一番多いのは、もちろん道路。全体の32.3%。で、堂々の第2位が、下水道なんでありますね。10.4%。3位の農業が9.4%、4位の文教施設が9.2%、5位の治水が8.3%。それらを抑えての、2位。どれだけ社会にとって下水道が重要なのか、よくわかります。
しかし、下水道事業費は、平成10年をピークとして急降下を始め、現在は、ピーク時の3割の予算しかないとのこと。
今、かなりの施設で老朽化が進み、処理能力も、今後、かなり危ない状況になることが予想されるのに、なかなか予算がつこうとしない。下水道料金も、なかなか上げられない。
大体からして、今、下水道のメンテナンスをキチンとします、などという公約を掲げる政治家はおりませんもんね、そう言えば。
無いと大変だが、できてしまうと、あるのが当たり前になって、その重要性はおろか存在すらなかなか意識しない。それが下水道。
そんな中、公共の下水処理施設は、今、かなり柔軟な運用もされるようになってきた、とのこと。例えば、佐賀県の場合、有明海の海苔の関係で、海苔が窒素を必要とする冬の時期は、わざと、処理場での処理で窒素の分解率を下げ、海に流しているとか。海苔の業者も助かるし、処理費用も少なくて済む。なるほど。
あと、汚泥に含まれるリンを回収して、再利用する、というのも考えられております。
リンは、窒素と違って、空気中から合成できるもんではない。そのほとんどを中国などからの輸入に頼っちゅう訳だが、うまく下水処理施設の汚泥から回収すれば、その輸入量の1割以上が確保できる、という計算もあるそうです。
どちらにしても。
ここらで、我々は、昭和30年代40年代がそうであったように、下水道の価値を今一度認識する必要があるのではないか、というお話でした。
写真は、夕刻の堀川。
この堀川も、昭和50年代まで、汚いドブ川でした。循環型社会であった藩政期には、物流の大動脈でありながらも美しかった堀川。生活排水が流れ込むようになって汚染が進み、江ノ口川の高知パルプによってトドメを刺された感のあった堀川も、今は、このように美しくなりました。
多分に、下水道のお陰。
昨日の話の締めは、ハイブリッド下水処理、というものでした。夢の下水道。
上に書いたリンの回収も含め、下水道の多面的な価値を創造する。
暮らしを支える。
地域社会を支える。
水環境を守る。
循環型社会を作る。
地球との共生を可能とする。
下水道について、生まれて初めて、キチンと考えた時間でした。