昇る太陽〔4612〕2015/12/01
2015年12月1日(火)快晴!
雲ひとつない空。抜けるような青い青い空がどこまでも広がる、そんな12月の始まり。
今日から12月。爽やかな風が、新しい月の到来を祝福しているようでもあります。
写真は、今朝、7時前の日の出。物部川の西岸の土手上から、対岸、上岡八幡宮さんの森の上に昇る太陽を撮影してみました。神々しくも、美しい日の出。
お日様の右手に高く屹立するのは、杉の木。お日様の右下のこんもりした樹は、クロガネモチ。いずれも、上岡八幡宮さんの参道入り口脇で存在感を示す、鎮守の樹。
お日様。
このにっこりでは幾度も書いてきましたが、日本人の宗教観とお日様は、切っても切れない関係であり続けてきました。地球で人類が歩み始めたとき、つまり精神的な思考を始めたとき、最初に畏れたのは、間違いなく大自然であったでしょう。それは、原初は動物的本能としての、自然への警戒、そして恐怖。
それがいつしか、生命の危険といった直接的な恐怖から、もっと大きな、世の中の根源的な何かに対する畏れへと昇華していった。その時、サルはヒトになったのかも知れない。
ただ、現生人類であるホモサピエンスのみが、そんな精神的思考をし、自然への畏れからアニミズム、そして宗教へと発展させていったのかと言えば、そうでもないようです。
数万年間現生人類と地球上に共存したネアンデルタール人も、死者に花を捧げたのではないか、という議論もあります。死者に花を手向ける。そういった精神的思考は、自分が生きている、ということを考える思考であり、大自然の不思議や力を感じる思考。
確かにこれには異論があって、洞窟から発見されたまとまった花は、薬草を集めていただけではないか、という話もあります。
しかし。
最近のゲノム解析で、どうやら我々アフリカ外の現生人類には、ネアンデルタール人のDNAもいくらか混じっている、という話が出てきました。アフリカを出た際に、交配が行われた、という訳だ。
そんなこんなを考えれば、アフリカから出たホモサピエンスも、先住していたネアンデルタール人も、同じような精神的思考をしていたのかも知れない、などと思ってしまうがいかがだろうか。つまり、我々の自然観には、ネアンデルタール人の精神的思考が混じっているのかも、などと考えると、何やら楽しいではありませんか。
いや、脱線してしまいました。どこが本線かは知りませんが。
お日様。
日本人は、お日様に対して、かなり強い思い入れがあります。
初日の出を拝み、その一年の健康や幸せを願う。昇るお日様には、希望や活力を感じ、それを拝むことで元気をもらう。
沈む夕日には、世の中の儚さや寂しさを感じ、そこにまた美しさを感じる。
しかし夕日を眺め、日没後の闇の中で、日はまた昇る、と勇気を奮い立たせる。そんなことを太古の昔から繰り返してきたのでありましょう。
お日様に対する思い。これは世俗的な意味で宗教と言って良いのかわからない。しかし、我々は、美しい昇る太陽に、本能的に手を合わせてしまう。これは、人類が最初におこなった精神的思考、宗教的行為につながる、原初的なもの。
今日も、美しい日の出を目にして、無意識に柏手をパンパン。