瀬戸内海と人類の未来〔4603〕2015/11/22
2015年11月22日(日)晴れ
いや〜、昨日は飲みました。
お昼の1時からの婚礼。最近は少なくなった大宴会の結構披露宴で、配られた座席表で数えてみると、お客さんの数は460名くらいでした。知事、市長を初めとする来賓で、まあ、なかなかの大宴会でございました。楽しかったです。
で、披露宴がお開きとなったのは4時過ぎ。それから、誘われて飲みに出ました。披露宴に参加しちょったお女将がやりゆう小料理屋さんを無理やり開けてもらい、移動。で、飲んじょいて、3次会へ。9時過ぎまで飲みよりました。何時間飲んでいるのか。
それにしても、友人代表さんは可哀想でした。
宴会の途中に挟み込まれたスピーチ。いろいろ、考えて原稿を準備してきて喋っておられました。しかし会場は大宴会真っ最中。県外から来られた友人さんは、かなりの戸惑いを見せておられました。いや、県外の方からすれば、この、飲みタクる高知の披露宴は、かなりのカルチャーショックかも知れませんな。
昔、小生が結婚した頃は当たり前であった、この規模の披露宴は、さすがに珍しくはなりましたが。
そんなこんなで、かなり飲んじょりましたが、今朝は4時に起きて、汽車に乗りました。朝5時高知駅発の特急しまんと。で、坂出でマリンライナーに乗り換えて岡山へ。で、新幹線に乗り換え、新大阪。新大阪で特急くろしおに乗り換え、和歌山県の紀伊田辺へと向いよります。お仕事。
写真は、瀬戸大橋を渡るマリンライナーから眺める瀬戸内海。一番北の、櫃石島と本州をつなぐ橋から、東の方向を撮影してみました。早朝からたくさんの船が行き来する瀬戸内海。
以前にも書きましたが、今から2万年ほど前、ここは全部陸地でした。瀬戸内海の平均水深は31mで、特に、東の淡路島から西の松山周防大島を結ぶ諸島の間には、深い部分はほとんどなかった。その陸地の中央部に、岡山辺りから東へ流れる古東瀬戸内川、広島辺りから古西瀬戸内川が流れており、現在は、その部分は溝のようになっちゅうと言います。
最終氷期であるヴュルム氷期は、今から8万年位前に始まり、1万5000年前くらいに終わる。2万年ちょっと前頃には、今より100m以上も海水面が低かったという、氷期。
さて。今は海になり、こうやって橋が架かり、船が往来する風景だ。
しかし、人類が余程のことをしでかさない限り、再びまた氷期はやって来ます。今から3万年〜10万年くらいしておりましたら、必ず氷期はやって来る。
高知で人々が暮らした痕跡で、一番古いものは奥谷南遺跡の2万年ほど前のもの。そこに住んだ彼ら彼女らは、間違いなく、瀬戸内海を歩いて渡って来た人々の末裔。
さあ。今から10万年後の風景を想像してみよう。
もちろんこの瀬戸大橋は、無い。と、申しますか、ここに橋は架かってない。何故なら、こんな長大な橋が無くても、本州と四国は陸続きになっちゅうので、普通に往来できるのであります。橋は、途中を東西に流れる川に架かる短い橋があれば十分。
現在向こうに見える島々は、平野に屹立する山。
新たに出現した広い広い瀬戸内平野には、住宅地が広がっちゅうでしょうか。工業地帯ができちゅうでしょうか。
いや、なんとなく、豊かな農地や草地が広がっちゅうような気がします。なんか、人類の未来は、そっちのような気がする。なんとなく。種の保存の本能から、地球環境と共存する道へ行っているのではないか。なんか、そんな気がしてなりません。人口構造も、人口増減も、ある程度コントロールできる社会になり、やはり人間の手が加わった自然環境の中で、豊かに暮らしている。なんか、そんな気がするのであります。少なくとも、今の延長線上にあることは、無い。
たった数千年で、人類は、凄まじいくらい生活環境を変えてきました。あと10万年経てばどうなるか。地球のことを考えると、このままの延長線上で生活を続けていることは有り得ない。もしそうとすれば、人類は絶滅し、この眼前の瀬戸内平野は草原になっているかも知れないから。
朝の瀬戸内海を眺めながら考える人類の未来。