ヤマモモは誰のため〔4439〕2015/06/11
2015年6月11日(木)小雨
ヤマモモ。楊梅。常緑広葉樹。
高知県の花は、ヤマモモ。どんな花やったっけ?と思うくらい、実の方が身近なヤマモモ。花の記憶はありません。毎年、この梅雨の頃に、高知県中、至る所で見ることができるヤマモモ。
日本で一番ヤマモモを食べるのは、高知県人なんでしょうか。
このにっこりでも、ヤマモモについては何度か書いてきました。特に、亀蔵。南国市十市の山中にそびえる1本のヤマモモの巨木。この樹に成る実は、大きくて甘く、ヤマモモの王様の風格。ということで、その1本の原木から接ぎ木して県下に広がったのが、亀蔵ブランドのヤマモモ。
幕末、十市の、島田亀蔵さんという人物が、自宅の裏山で発見したので「亀蔵」。
高知県百科事典で、ヤマモモのことを調べてみました。
十市とか稲生とかでは、ヤマモモの実を採ることを「もる」と言うたそうです。で、樹の栽培主と、採取者の間で、収穫物を分けることを「もり分け」と言いました。キチンと制度化されちょったと言います。
もちろん、採取がしにくい山奥とか、高い場所とかにある場合は、採取者の取り分が増える訳だ。
ヤマモモの樹は、結構大きゅうなります。写真は、会社の本社屋北側のヤマモモ。2階の窓から撮影しました。もちろん、低い位置にある実は、しゅっと手に取って食べれます。が、こんな高い位置にあるのは、毎年、あきらめております。この実のなり方を見ておりますと、ヤマモモの実は、人間の為にではなく、鳥の為にあることがよく判りますね〜。手に届きそうで、届かない。
採取するのも大変でございます。
以前にも書きましたが、毎年、笊にヤマモモを盛って、家へ売りにくるおばちゃんがおりました。もう、毎年。
高知県百科事典によりますれば、かつてたくさん居たヤマモモ売りは、「モモえ〜 モモえ〜 お銀のちぎった大モモえ〜」などと声をあげておったとか。丁度、梅雨のシーズンなので、みの、かさ、草鞋履きであった、と書かれちょります。
昔は、子供達も、山へヤマモモ採りに行っておったと言います。
昭和20年6月22日。
高知市神田の南、吉野から、5人の中学生がヤマモモ採りに山へ入りました。その日、広島県呉の海軍工廠を爆撃した米軍のB-29が、呉の対空砲火で被弾したまま帰途につき、高知上空まで帰ってきたところで、墜落。乗組員はパラシュートで脱出し、3名は捕虜となるも、1名は大怪我をして、亡くなる、という事件が起こります。
墜落した場所は、吉野の山中。
偶然、ヤマモモを採りに来ておった5人の中学生のうち、2名が、墜落したB-29のガソリンを浴びて焼死した、という悲劇が伝わっております。
今から70年前。丁度、今時分。梅雨の、ヤマモモがたわわに実る季節の悲劇。