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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

仏像構造線の下の矜持〔4391〕2015/04/24

仏像構造線の下の矜持

2015年4月23日(金)良いお天気

野市から山北にかけて。三宝連山の南側の山裾。仏像構造線の南側の山裾からは、幕末から明治にかけて、なかなかの人物を輩出しちょります。
新宮村からは、ご存知新宮馬之助。海援隊で龍馬を助けて活躍した新宮馬之助さんは、新宮村の農家の息子で、幼い時から絵が上手で、上下の河田小龍さんに絵を習ったのがきっかけで、龍馬とともに活躍する世界に飛翔したのはご承知の通り。馬之助さんが描いた絵馬、今でも見ることができます。

山北の方へ行くと、安岡兄弟の家があります。今もあります。兄の安岡覚之助、弟の安岡嘉助、共に維新の志士で、土佐勤王党員。兄は武市半平太の腹心として活躍し、戊辰戦争にて戦死。弟は、吉田東洋暗殺に関わり、吉村寅太郎の天誅組蜂起に参加して刑死。
安岡家は、安岡章太郎さんの出里。小生の伯父が東京で働いていた会社の上司が、この安岡家の方で、伯父に連れられて一緒にお邪魔したことがあります。兄弟の父、安岡文助さんが几帳面に克明に記した「文助日記」を読ませて頂きました。

そして、両者の間、富家の消防の所に、この碑が立ちます。以前にも一度ご紹介した、水野吉太郎碑。碑の裏面に書かれた文章は、かなり読みづらい状態にはなっちょります。本日、判る範囲、飛ばし飛ばしで転載してみましょう。概略はつかめると思います。旧体字は、今の字に変えちょります。それでは転載。

水野吉太郎先生ハ明治七年十二月本村ニ生ル 父ハ源兵衛母ハ道 幼ニシテ俊敏 城山高等小学ヲ卒業 父村長ヲ助ケテ治績大ニ揚ル
青雲ノ志 辞表ヲ役場ノ金庫ニ置キ 密ニ上京 法政大学ニ
国家試験ニ合格 弁護士トナリ 北海道大連高知ノ各地ニ開業
安重根 伊藤公暗殺事犯ノ如ニ 最モ世ニ知ラル
大正九年代議士ニ当選シテ 高知弁護士会長トナリ 政界並ニ法曹界ニ重キヲナス
裕カラズ 組織ノ長老ヲ会シテ将事ヲ懇談 党争ノ弊ヲ救ウ
先生当ニ
憲政ノ墓守
板垣旧邸ヲ九反田ニ移築シ 憲政祖国ノ碑ヲソノ測ニ建テ 民権運動ノ歴史ヲ彰ハスニ務メ 昭和廿二年七十四歳遂ニ
ニ長逝ス 意志 後進ノ
主家ノ全財産ヲ挙げゲテ 本村ノ発展ニ尽シ 愛郷ノ念終始渝ラズ
是ヲ以テ村会
茲ニ碑ヲ建テテ
高徳ヲ彰ス

昭和廿三年四月
石丸重義 撰
川谷廣次 書

途中、飛ばし飛ばしです。
この中の、安重根事件については、以前も書きました。ハルピン駅で明治43年に伊藤博文を暗殺したのが安重根。アンジュグン。その弁護人を務めたのが水野吉太郎さんで、安の人物に共感、桜田門外の変の水戸浪士のようなものである、として弁護活動をしました。
確かに。自国を、理不尽にも隣の国に併合させられてしまった、という状況に置かれたら。そういった状況での活動は、やられた方ではテロで、やった方は自国解放運動。
しかし、その当時、日本にとってのテロリスト安重根と語り合い、弁護をする、というのは、大変な信念が必要であったことは想像に難くありません。
歴史というのは難しい。
グローバルな人材を育てる、ということは、色んな国の立場になって考えることのできる人材を育てること、ということを、歴史を学ぶにつけ、益々確信します。

水野さん、こないだも書きましたが、昭和16年という、国家が戦争に突入し、翼賛体制がマスコミ、国民あげて賞揚される時代に、この碑文にもあるように、憲政之祖国碑を建立しました。

どちらの事例も、矜持。
そしてこの碑の左下の署名。これが重要。

「素淮書」

吉田茂の雅号は、素淮。そわい。イニシャルがS.Y.であるところからきちゅう、と言われます。世の中の空気に流されることなく、矜持を貫いた水野吉太郎。戦前、外交官として三国同盟などに反対し、東条英機に嫌われて干された吉田茂。
こんなところで繋がっていました。この署名が吉田茂さんのものである、と気付いちゅう人は、かなり少ないかも知れません。


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