旧街道を三坂峠まで駆け上がる〔4260〕2014/12/14
2014年12月14日(日)晴れ
そんな訳で今朝は松山。昨日からの雪はそれほど大雪にならず、高知自動車道も通行止めにならいで良かった良かった。
昨夜は、松山の二番町界隈でグッスリ飲りよりました。仕事です。が、ホテルへ帰り着いたら日付がだいぶ変わるほどグッスリ飲りました。流石に早朝RUNは生酔いなのでやめちょきまして、昨日から考えちょったプランを実行してみることに。車で高知へ帰る途中、三坂峠の旧街道を駆け上がってみよう。
国道33号線を南下、三坂を標高400mまで上ると、三坂道路の分岐があります。そこからもう少し旧国道を上ると、左に下る狭い道路。その道路を車でどんどんどんど谷まで下り、少し谷を下ってから別の谷沿いに上っていくと奥久谷。
そこに車を駐車。で、走り始めて狭い車道で尾根を一つ越えると、遍路道でもある旧松山街道へ出ます。谷筋を三坂峠まで登っていく街道。これこれ。
土佐人にとっては松山街道ですが、松山の人にとっては土佐街道であり、久万街道でもあります。駆け上るにつれ、狭い車道はいつしか山道に。さすがに遍路道。歩きやすい山道。今も歩き遍路さんが通る山道。
45番岩屋寺から46番浄瑠璃寺へ向かう遍路道。なので、お遍路さんは通常は三坂から下ってくる訳だ。
駆け登りよりましたら、途中、「久万街道」という説明版が。文章を転載してみましょう。
以下転載
このちは、明治25年、旧国道(33号)が開通するまで、松山と上浮穴郡、高知を結ぶ重要な街道で、生活に欠くことができないみちであり、多くの旅人が歩んだみちでもあります。そして45番岩屋寺、46番浄瑠璃寺を打ち終えた遍路たちが、次の札所へ向かったみちでもあるのです。
また、昔は高知への最大の難所であり、三坂馬子唄にも「むごいもんぞや久万山馬子はヨー。三坂夜出て夜もどるヨー、ハイハイ」と歌われ、その往復には一昼夜もかかったそうです。
以上転載
遍路道については、ちょっと、ん?という感じの記載があり、国道開通年もちょっと間違うちょりますがそれはそれ。ちょっといい加減感満載の文章ぜよ、これは。まあ、それはそれ。
馬に荷物を乗せて運んだ馬子さん、三坂越えの往復に一昼夜かかったとか。なるほど。まあ、高知県人にしてみれば、それほどキツい山道でもありませんでした。こりゃあ、立川から馬立への笹ケ峰越えの方がずっとキツい。
写真は坂道を駆け上りきった峠。ここが昔からの三坂峠。何もない、静かな峠。標高は約720m。ここにも三坂峠についての説明版がありましたので、その文章を転載しましょう。
以下転載
伊予と土佐を結ぶ土佐街道にある急峻な峠です。江戸初期に久万の商人山之内仰西によって拓かれました。明治27年に三坂新道(国道33号)ができるまで、この道が松山と久万を結ぶ主要道でした。峠からは松山平野が一望でき、茶屋もあり、久万山馬子や四国遍路をはじめ多くの旅人が行き交ったことが絵図からもわかります。
以上転載
今は、峠の周囲を木々が取り囲み、眺望はまったくありません。もちろん茶屋もありません。静かな峠。少し広い空き地になっちゅうのは、ここに茶屋や馬子の設備があった名残でしょうか。
今日は、ここから旧国道33号線に出て、旧国道を走って下りました。三坂道路ができて交通量もめっきりと減った旧国道は、ランには最適。凍った路面で滑らんように気をつけながら奥久谷まで駆け下り、車に乗って高知へモンて来た日曜日。
旧街道を走れて、昨夜のアルコールもすっかり汗になり、心地良いランとなりましたぞなもし。