鏡川、築屋敷、維新の志士、自由民権運動の闘士〔412〕2004/06/01
2004年6月1日(火)快晴
今日から6月。今朝は見事な快晴となりました。昨夜、雨の中の鏡川縁りを走っておりましたら、太陽が沈んだ後の西の空、地平線の上の空がとても明るく輝いて美しかったのであります。それが今日の快晴に繋がっているんでしょうね。
今朝の写真は、鏡川中流域「柳原橋」から西を向いて撮ったもの。向こうに見えるのは「月の瀬橋」ですね。何度も何度もご紹介した「築屋敷(つきやしき)」が、この写真右手の土手沿いの一画。そこから北へ、南奉公人町、通町(とおりちょう)、水通町(すいどうちょう)、本丁筋(ほんちょうすじ)、北奉公人町と続きます。
本丁筋は、藩政期には上町本町(かみまちほんちょう)と呼ばれておりましたが、この東の本町(ほんまち)との混同を避けるため、明治になって本町筋(ほんちょうすじ)と改められ、昭和になってから今の本丁筋の名称に変わったのだそうです。
商売人や職人などの町人が多く住む町で、坂本龍馬の本家で豪商「才谷屋」も、この本丁筋に面してあったのだそうです。この界隈からは坂本龍馬を始めとして近藤長次郎(饅頭屋長次郎)などの志士が輩出され、明治に入ってからは馬場辰猪などの自由民権運動の闘士が現れました。
みんな、この築屋敷前の鏡川で泳ぐのが大好きだったようですね。今でもとてもきれいで、夏場この川沿いを走りよりますと、思わず飛び込みたくなります。