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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

天神橋と松江大橋〔4101〕2014/07/08

天神橋と松江大橋

2014年7月8日(火)不安定

台風、来よります。昨夜、真夜中に突然近所に落雷があり、いっときの間、大雨が降りました。今朝は再び穏やかな気候。こんな感じを繰り返しながら台風を迎えることになりそうです。何事もないことを祈りましょう。

さて。昨日の午後、汽車でモンて来ました。
写真は今朝、4時過ぎの鏡川。まだ、そんなに増水しちゅう訳ではなく、静かな鏡川。川面に靄がたちこめ、幻想的な雰囲気を醸し出しちょります。
潮江橋の真下で、雨を除けながら、天神橋方面を撮影してみました。藩政期には、高知の城下、郭中と鏡川南岸を結ぶ、唯一の橋であった天神橋。
最初に架けられたのは二代藩主忠義さんの時代、1622年。山内家菩提寺の真如寺へお参りするのに架けられたので「真如寺橋」という名称でございました。その後、潮江橋などとも呼ばれ、今では天神橋。

当時の土木技術と安全管理技術でしょう。20年に一度の架け替えが、決まりごとになっちょったにかありません。で、文政5年(1822年)にも架け替え工事が行われたということです。最初の架橋から200年後で、20で割り切れる所がもっともらしい。その際、大工の亀右衛門さんという人物が、通常の入札価格よりも3割〜4割安い価格で応札。競争指名入札やったのかどうなのかはわかりませんが、工法については、特に指定がなかったようです。で、亀右衛門さんは、画期的工法を編み出したということで、安価応札を敢行。落札し、着工したのでありました。
橋は完成し、比島の三夫婦による渡り初めも予定され、落成式典を待つばかり。しかし。供用開始を迎えることなく橋は崩落したという話でございます。新工法は、欠陥工法であったにかありません。その後、亀右衛門さんがどうなったのか。気になりますが、それは不明。

橋と言えば、昨日ご紹介した松江。あの写真の場所から北東に、白潟へ渡る小さな橋。天神橋。白潟天神さんに渡る橋が天神橋やったと思います。そこから北上し、大橋川河口を松江城の方へと渡る橋。大橋。川幅は百数十メートルあり、鏡川の比ではない。宍道湖へ流れ込む部分で、川底は緩く、安定しちょりません。関ヶ原が終わり、堀尾吉晴が入国してきて城下町を建設し、そこに本格的な橋を架けることになったそうです。それまでは、「カラカラ橋」という、竹でこさえた簡易な橋があるだけでした。
しかし工事は難航。
基礎の石を投げ込んでも、しゅっと流されて無いなってしまう。杭も立たない。これは、どうやら水神様が怒っちゅうきに違いない、ということになり、その怒りを鎮めるため、人柱をたてることになったと言います。
希望者はいません。そこで、ある日の朝、マチの無い袴をはいて朝一番にカラカラ橋を渡った男を人柱にしよう、ということに決定。で、朝一番にマチの無い袴をはいた足軽の源助さんが渡ったので、彼が人柱に仕立てられ、生きたまま橋脚の下に埋められた、という話。

人柱源助のお陰で、その後、架橋工事は順調に進み、源助が埋められた南から三本目の柱は、それからもビクともすることがなかったそうです。
しかし。源助柱と呼ばれたその柱のところには、夜になると鬼火が飛び交うたと言われます。
この話、小泉八雲、つまりラフカディオ・ハーンの文章に出てきます。日本の幽霊の話として。

ともあれ、橋を架けるということは、なかなか大変な事業。日本の街の、歴史ある主要な橋には、必ず何らかの逸話や伝説が残っちょります。


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