目黒不動尊、湧き水の仕組み〔4083〕2014/06/20
2014年6月20日(金)東京は晴れ
そんな訳で今朝は東京。昨日の夜、徳島での会議が終わってから、飛行機で飛んできました。
今朝の東京は晴れ。汗をボッタリショとかきながら、目黒界隈をたつくって来ました。東京、地形堪能RUN。目黒川が谷底となり、その両岸が台地状に盛り上がる地形が顕著な五反田目黒界隈。
東京から武蔵野にかけては、基本的に多摩川によって形成された扇状地。何十万年も昔から様々な堆積と浸食を繰り返し、様々な地層が積み重なっております。
一番下層を成すのが上総層群。これは200万年以上昔、深く入り込んでいた海によって形成された海成層。東京界隈では、かなり深いところにあり、固い固い地盤を持ちます。
その上。東京層。これも、海進によって形成された層で、洪積世にできました。礫層もあるが、粘土質の固い地層を形成。10万年ちょっと前くらいまでに形成された東京層。
その上には、場所によって色んな地層が見られるのであります。下末吉層は一番古く、この目黒の近くでも荏原台などを形成しちゅう台地。その後多摩川によって形成された武蔵野層によって浸食されちゅう場合が多いので、露出しちゅうのはそんなに多くない。しかし固いので、麻布界隈とかでわかるような複、雑で細かい谷の切れ込みがある特徴を持ちます。
そして、武蔵野層。武蔵野礫層は、多摩川によってつくられた扇状の礫層。東京層のすぐ上に形成されちゅう場合が多い、武蔵野では一般的な地層。
その武蔵野層の台地には、いくつかの川が浸食して谷をつくっちょります。なので、台地はいくつかに分かれ、違う名称で呼ばれます。その一つ、目黒台。
その目黒台の端っこ、目黒川などによって浸食されてできた崖状の端っこ。そこに、縄文時代から人々は住み、生活を営んできました。
台地下は水の豊かな湿地帯。台地の上は固い地盤の安全な土地。
そして、湧き水。
目黒不動尊は、その台地端っこの上に建ちます。そこへ上がっていく石段の脇。水かけ不動さん。崖から水が涌き出し、池があります。
目黒不動尊は、そもそも、大同三年(808年)に慈覚大師圓仁が独鈷を投げて堂宇造営を卜した際、涸れる事のない湧き水が湧出し、瀧泉寺として創建した、という話。その湧き水は今もあります。
その湧き水。
武蔵野礫層は、礫層というくらいで水を透過させやすい地層。東京層は粘土層で、水を通しにくい。なので、その武蔵野礫層と東京層の境目を水が流れることになり、露出面の崖から涌き出す、という訳です。目黒不動尊のそもそもの謂われとなった崖の湧き水は、そんな理屈で涌き出しよったという話。地層の境目を流れる水。
で、今朝、その地層の露出を確かめに行って来たのでありますね、暑い中、走って。
写真は、不動尊本堂へ上がっていく石段の下の横。水掛け不動さん。その向こうが露出した崖で、その上に不動さんが鎮座。
よく調べてみますと、かなり高い位置、それこそ上の本堂があるのと同じくらいの高さの斜面に、水のタンクらしきものが見えました。あそこが地層の境目なのでしょうか。結局、武蔵野礫層を確認することはようしませんでした。この目の前の露出は、東京層でしょう。粘土質の土でした。
朝の目黒不動尊で、地面を調べる怪しげなランナー。警備員のおんちゃんが不審げな目で、こちらを見ておりました。しかし、地形探索は実に面白いもの。
誰もお参りに来んので、ひっとりでした。それはそうか。丁度、ワールドカップの日本ギリシャ戦をやりゆう時間帯。お不動さんは静かでした。