陸地と海の間〔4035〕2014/05/03
2014年5月3日(土)晴れ!
良いお天気の憲法記念日。心地良い風が吹き抜けてゆきます。
今日は、午前中、会社でお仕事をしよりまして、午後に市内をウロウロ。ここは秦泉寺。高知市秦泉寺。その昔は土佐郡秦村。千数百年前、白鳳時代の昔、この向こうに大きなお寺があったとされます。秦泉寺廃寺跡。その時代の遺跡としては、なかなか大きな建物遺構になるので、土佐でもかなり重要な場所であったものと思われます。
この写真。
車道が、向こうから下ってきゆうがが判りますでしょうか。北部環状線。この向こう、つまり東へ行くと、中秦泉寺の交差点で、更に進めばイオン。北部環状線ができて、すっかりと風景も変わってしまいました。高知でも有数の、近年風景が劇的に変わった場所。
もちろんこの写真の道路も近年できたもの。旧道は、向こうの中秦泉寺交差点から、北寄りの山裾を通ります。小生が子供の頃は、その交差点のところの農協の前が急なカーブになっちょって、バスが曲がるがに苦労しよりました。
この新しい道路は、中秦泉寺交差点からこのように下ってきます。
そう。この下りは、古代の陸地から古代の海への道。話によりますれば、この旧道のところが、古代の海岸線であったといいます。もちろん、大きな寺院があった白鳳時代も。と、なりますと、その寺院は、古浦戸湾に沿う、海辺の寺院であったことになります。現在の愛宕山は海に張り出した半島で、その先に中津と呼ばれる港があったのはご承知の通り。大津と小津の間にあった中津。
市街化されたり道路ができたりすると、なんとなく、地形がわからんなってきます。そこを車で走りゆう限りは、起伏もなにもわからんなるので、元の地形や都市の形を想像することもありません。しかし、よく注意して見ると、古代の地形や街の様子が、なんとなく今も残されちゅうことに気付いて嬉しゅうなったりしますよね。
古浦戸湾は、ここ、秦泉寺まで入り込んだ奥深い海。太平洋の荒波からは隔絶された、浅くて広い湾。湿地帯、ラグーンの様な湾内は、自然の恵みに溢れていたかも知れません。
さて。想像してみましょうか。
この目の前は海で、向こうの、自動車がやってくる辺りは海岸であった時代。その海岸には巨大寺院。近くには港。
寺院の周辺には、人々が暮らす街が形成されちょったでしょう。港は、交易の品々で溢れ、猥雑な賑わいも形成されちょったかも知れません。もちろん、人の往来も物資の輸送も、舟が中心。「秦」という漢字から想像されるのは、国際色。ひょっとしたら、大陸との貿易もあったでしょうか。ここが、国際色豊かな港として栄えていた風景。もちろん妄想ですが、有り得ない話ではありません。
地形を体感しながら、古代に思いを馳せる楽しみ。
いつしか古浦戸湾は陸地になっていき、ここは海辺ではなくなりました。田んぼが広がり、山裾にだけ、家が建つ村。
大正11年、このしゅっと北側の山裾で、銀行員であった人物が、山羊と乳牛を飼育し始めたのであります。ひまわり乳業の創業。