江戸時代の水防組織〔40〕2003/05/26
2003年5月26日(月)雨
今朝は雨の中、鏡川を新月橋のあたりまで走ってきました。こうやってきちんと降ってくれると、身体がシャキッとして気持ち良いですね。
さて、写真は、築屋敷(つきやしき)の堤防の上にある「水丁場」の標柱。
江戸時代の水防組織の名残です。鏡川沿いに、河口のザコバから5丁目の思案橋までを12の区画に分けて水防団を組織しており、その区画の境界に、このような標柱が建てられちょりました。それでも鏡川はしゅっと氾濫しよったそうで、昔から(現在も)水害とは縁の深い高知市です。
ちなみに、江戸時代初期の水防団は、山内家の軍隊で組織されちょったとのこと。理由は、長宗我部の遺臣が、大雨の際にわざと堤防を決壊させて洪水を起こすのを恐れた為だそうです。