金沢、尾山神社と用水〔3804〕2013/09/14
2013年9月14日(土)金沢は晴れちょります
今朝は金沢。そう。石川県の金沢。加賀百万石の都、金沢。昨日、6時間以上かけて、高知から汽車でやって来ました。
金沢、何回目でしょうか。どうやら、このにっこりでご紹介するがは2回目にかありません。前回は、5年前。2008年2月16日でした。雪の兼六園。
あれから5年。いやあ、何が変わったと言うて、金沢の駅。再来年の新幹線開業に向けて、たまるか言うばあ再開発が行われゆう金沢駅。以前の面影が全然ないなっちょったがにビックリしました。
それはともかく、昨夜は、金沢で小生と同業の社長さんと飲みよりました。北陸の海の幸、おいしゅうございました。2軒目のお店で、地元から出たことの無い女の子に、色んな地図を描いてもらいましたが、これは面白い。
四国は楕円形で、四県の名前を教えて、どこに何県がありか書いてもらいましたが、まあ、ホントに、もう。四国は影が薄いがですね〜。
日本地図を描いてもらうと、本州も細長い楕円。房総半島や紀伊半島などの出っ張りがないのに、何故か、キチンと能登半島だけはピョコンと出っ張っちゅうががおかしかったです。
それもともかく、今朝は金沢RUN。駅前からお城界隈。
金沢城の北側に、この、なかなかの存在感の神社が鎮座ましましちょりました。尾山神社さん。前田利家公と、その奥さん、おまつを御祭神とする神社。明治6年建立。土佐で言えば山内神社ですな。
山内神社には歴代の殿様が祀られちょりますが、ここ尾山神社は初代の利家公夫妻のみ。で、二代藩主以降は、この尾山神社境内にしまかに鎮座まします摂社、金谷神社に祀られちょりました。初代と、それ以降に、明確にしてあからさまな差が設けられちゅうがですね。それだけ、前田利家公は、特別な存在ながでしょうか。
この写真。尾山神社の一の鳥居から見上げると、ハイカラな神門。
上部には、カラフルなステンドグラスのようなものが光ります。ギヤマン。和・漢・洋折衷様式という、なかなか趣きのある門。
あの門をくぐると、庭園のような風情。元々、藩主の別邸、金谷御殿があった場所に創建された神社やきですね。
利家公の母衣衆姿の騎馬像があり、その横に仮設の立派なステージがしつらえられちょりました。金沢ジャズストリートというイベントが、この3日間開催されよって、その会場の一つになっちゅうがにかありません。なるほど。
そう言えば、高知では、明日、高知街ラ・ラ・ラ音楽祭が開催されますな。金沢のは、ジャズが中心で、ちょっとコウベッた感じ。高知のナンデモアリな雰囲気とは、ちょっと違うみたいです。
さて。
その鳥居の手前に、古い石組そのままの水路が流れよります。西内惣構(そうがまえ)堀跡。高知の城下にもあったように、お城防御のために、お堀と土塁が構築されましたが、その痕跡。その堀の説明板に書かれちゅう文章を転記しましょう。以下転載。
金沢市では、伝統環境に調和した潤いのある用水空間の創出を目的に、平成七年からまちなかにおける用水の開渠化や年間を通じた流水の確保に取り組んでいます。ここ尾山神社前では、昭和初期頃の景観をもとにして開渠化とせせらぎの再生を行いました。
以上転載。
どっかの街が、まだ、歴史ある堀の景観を暗渠にしょうとしゆうがとは対照的。金沢の考え方に1票。