久々の亀蔵原木、ヤマモモの季節〔3706〕2013/06/08
2013年6月8日(土)晴れ!
晴れちょります。昨日、朝の東京は曇って、小雨もパラつくようなお天気やったがですが、高知へモンてみたら真っ晴れ。そして今日も晴れて、夏の日差しが眩しい土曜日。
土曜日ですが、午前中は会社に居りまして、午後も2時から用事があり、そして3時からまた宴会。そうそう、昨日は、お昼から酪農さん関係の会合があって、そのまま宴会。もちろん飲み会。乳牛の人工授精用の精液関連の方が、北海道からいらっしゃっておりました。全国の、酪農さん団体などを廻って説明をして歩きゆう方。で、昼間っからの飲み会に戸惑うちゅうようなので、他県の酪農家さんたちは、昼間っから飲んだりせんがですか?と尋ねたら、キッパリと「飲みません!」というお返事。
へ〜〜。そうやったがか。小生、酪農家さんは、全国、昼間っから飲みゆうもんやと思いよりました。高知は、ちくと特別にかありません。
ちなみに、宴会が終了したがが午後3時半で、そのまま葉牡丹に移動したのは、言うまでもありません。
さて。今日は、そのお昼の2時までの時間を利用して、十市。とおちと読みます。南国市十市。農協のところから細い道を北向いて入り、しばらく行くと人形谷。そこに車を停め、更に細い道を歩いて300m。民家の間を山道に入って行きます。文字が消えかかった案内板によりますれば、そっから200mで、亀蔵の原木ということ。
亀蔵。
高知では、今の季節、ヤマモモが穫れ始めます。ヤマモモ。楊梅。で、ヤマモモでの一番のブランドが亀蔵。かめぞう。ヤマモモと言えば亀蔵。その亀蔵というヤマモモは、以前にもご紹介しましたが、実は、十市の山に屹立する1本の樹から接木で広まったもの。元をただせば1本の樹。
幕末、十市に住む島田亀蔵さんが、自宅の裏山で発見した古木。あまりにも美味しいので、それを接木で広めたのが、今、亀蔵と呼ばれるヤマモモになった訳です。
2006年12月にも、一度、その原木を訪ねたことがあります。あのときは冬でしたが、今日は夏。かなりの薮漕ぎが予想されましたが、どいたち、ヤマモモの実がなりゆう時分に行ってみたかったので、本日お昼の強行軍になった訳です。
登り口の民家におばあちゃん。かなり耳が遠かったので、大声で、亀蔵原木の位置を聞きました。なんとかかんとか聞き出して、山へ。
当たり前ですが、暑い。小生、仕事着のワイシャツ、ズボンですきんねえ。
しかしここまで来たら進むしかない。
で、2006年にも来た、これが原木ではないかな?と想像されるヤマモモの大木のところへ。しかし、おばあちゃんの話っぷりでは、ちょっと違うような気もしたので、そっから更に山奥の上の方へたつくりに行ってみました。この山、ヤマモモは結構たくさん。巨木もありますが、それらしきものには行き当たらず。しばらく徘徊してから、元の、祠の後ろの巨木のところにモンてきて、撮影したががこの写真。
これがそうかは確信は持てません。が、とにかくその原木、樹齢200年を超え、高さは10m以上、という巨木やそうで、この写真のは、そんな感じに見えます。
あまりに樹高が高いので、実がなっちゅう所は見えません。しかし、足元に、ぽつぽつと赤い実。おう!ヤマモモ。静かにたたずむと、時折、上から赤い実が落ちて来ます。この樹が、亀蔵の原木なのか。
確証のないまま、山を下り、車を停めた場所まで。
その、人形谷の集会所の横の家に、一人のおばちゃん。で、尋ねてみました。
「あたしも行ったことないきんねえ。けんど、島田のご先祖様の所にあると聞いちゅうぞね。」
そう。この界隈、ほぼ全員島田さん。で、確かに山の中に突然鎮座まします祠の後ろに、この巨木は屹立しちょります。き、その可能性が高まりました。あの祠が島田一族のご先祖様をお祀りしちゅうとすれば。
「亀蔵さんの直系の家は、このしゅっと東らやけんど、東京へ行ってしもうて、ここには残っちゃあせんがよ。もう、亀蔵さんのことを知っちゅうヒトも減ったねえ。」と、寂しそうでした。
お昼休みの亀蔵原木探索は、終了。暑かったので、汗にふきました。
忘れちょったけんど、今から用事があり、その後3時からは得月で宴会。ひょっとしたら汗臭いかも知れません。この季節のお昼休みには、せられんかったですろうか。