土佐のおきゃくと山内神社燈籠と廃藩置県〔3609〕2013/03/03
2013年3月3日(日)良いお天気
高知市内では、昨日から「土佐のおきゃく」。春のお祭りとして、結構定着してきた感のある「土佐のおきゃく」。街中は、昼間っから赤い顔をした幸せそうな善男善女が溢れて、春の高知らしい風情。エイですね、高知は。昼間っから飲んでも後ろ指をさされない高知。
こんな高知が、全国で重要な役割を果たした時代、それが幕末から明治期。
ここ、山内神社に、そんな時代の痕跡があります。この燈籠。
山内神社は、明治4年に、16代藩主、山内豊範さんによって創建された、山内一族をお祀りする神社。土佐藩から高知県に変転していく時期に、燈籠がご寄進されたりしちょりまして、その時代の空気を感じる事ができます。
この燈籠は、明治4年4月にご寄進。神社ができたばっかしの時期。寄進したのは、その年2月に結成されたばっかして、間もなく上京することになっちゅう、御親兵第一大隊第四小隊の隊員たち。燈籠に、その小隊名が刻まれちょります。
この時期は、近代日本建設において、非常に重要な決定が為された時期。まだまだ新政府がこれからどうなていくのかわからない、内戦がいつ勃発するかわからない、そんな時期。
薩長を中心とした新政府の首脳陣は、そんな中、国軍をつくろうと決意します。江戸開城後、薩摩に戻って兵隊の訓練と教育だけに従事するようになり、国事から巳を引いちょった西郷どんに、その兵を率いて再び上京してもらう必要もありました。
その当時、軍事力は、それぞれの藩が持ったままで、殿様が藩知事になり、藩政期からのやり方を踏襲しちょりました。
しかし、国際社会の中で日本をつくりあげていくに際し、中央集権にした上での、国軍の建設がどうしても必要になりました。
そこで、第一歩として、薩長土から、兵隊を出し、御親兵と称する国軍を結成することとしました。そうしちょいて、廃藩置県。
藩知事として残っちょった各地の殿様の権力を没収し、県を置いて、知事を中央で任命された知事を派遣していくようにしよう。それが廃藩置県。これには、各地の旧勢力、武家集団が、ものすごい抵抗をすることが予想されました。
それをうまくやる為に、まず、政権を握る薩長、それに土佐が兵力を供出して、範を示し、国軍をつくることにした訳ですな。
また、廃藩置県に反対する勢力が反乱を起こすことも予想され、それを押さえ込む軍隊も必要でありました。
明治4年1月、大久保利通と西郷隆盛、それに木戸孝允が来高、なんどもご紹介したことのある、今の東九反田公園のところで板垣退助等と会談、藩知事山内豊範に、御親兵の献上を説いたのはご承知の通り。
で、翌2月に軍隊が編成されたのでありました。その時期に、その兵隊さんたちがご寄進したのがこの巨大な燈籠。それを、山内神社にご寄進しちゅところに、山内家と兵隊さんの関係が偲ばれて興味深いところです。
なんせ、山内の殿様は、自分が藩のオーナーであることをやめる為に、自分の兵を献上する、ということになる訳ですき、なかなか複雑。
この御親兵が中心になって日本初の国軍が編成、それが近衞兵団の元となり、西南戦争などを経て軍隊ができあがっていった、ということになります。
この燈籠は、そんな、日本の国軍が編成されるはじまりと、山内の殿様との関係を、今に伝えてくれる臨場感溢れる歴史的燈籠。今も、静かに、山内神社参道入り口にたたずみます。