伊勢神宮と式年遷宮というシステム〔3493〕2012/11/07
2012年11月7日(水)晴れ
実は、今日は伊勢へ来ちょります。伊勢神宮。2年振り。天照大神をお祀りする、日本の氏神様、伊勢神宮。
ご承知の通り、伊勢神宮には内宮と外宮があります。前回来たときは、このにっこりで、外宮の拝殿のところをご紹介しました。ですきに今日は内宮。この石段を登ったところに天照大神を拝むところがあり、そのずうっと奥に本殿。
元々、第10代の崇神天皇の頃まで、天照大神は天皇の住む宮に一緒に祀られちょりましたが、色んな不都合がおきてきた。これはいかん、霊威が強すぎる、ということで、崇神天皇は娘に命じて大和の笠縫村というところに「ヒモロギ」を立ててアマテラスを祀らせます。次の第11代、垂仁天皇の時、その娘のヤマトヒメが、天照大神を伊勢に遷して祀ることとなり、それが伊勢神宮の始まり、ということになっちょります。日本書紀では。
この辺につきましてはまあ、様々な研究があり、諸説入り乱れ、史実はどうなのかはわかりません。
伊勢神宮の内宮に、荒祭宮という別宮があります。アマテラスの荒魂を祀る、ということになっちょりますが、周辺の発掘成果等から、ここが当初の伊勢神宮やったのではないかという説が有力。真相はわかりませんですね。
大和朝廷ができ、それから日本という国家が形成されていくなかで、国家神道が、政治的な意味合いを持って確立されていった。そして、伊勢神宮とアマテラスは、国家にとって、政治にとって、とても重要な役割を果たすようになったがはご承知の通り。それは、日本書紀などのメディアを使った世論形成、世論誘導、という側面があったことももちろん否めません。
太陽や巨木、雷など、自然の威力への畏怖、敬いが、信仰へとつながっていった訳ですが、それと密接に関係する稲作、米、実り、といった部分が信仰と結びつき、そして、伊勢神宮、アマテラス信仰の形ができあがっていったがも事実。
それはともかく、それはそうでありながら、伊勢神宮への信仰は、日本人にとって、やっぱし深く深く根付いちゅうがは間違いないところ。平日でありながら、なんという参拝者の多さでしょう。来年、20年に一度の式年遷宮ということもあって、なにやら、盛り上がっちょります。この左手の森の奥に、現在の拝殿、本殿とまったく同じ形状の、新しいお宮さんが出来上がりつつありました。20年に一度、行ったり来たり。宝物も含めてすべて新しゅうしていくシステム。天武天皇が始めたとされるこのシステムは、色んな意味で、大成功を収めちょりますよね。
信仰を、色褪せさせずに受け継いでいくこと。しきたりや技術を絶やさないこと。権威を保ち続けること。
手間とお金がかかって、ホントに大変やとは思いますが、このシステムがなかったら、伊勢神宮、1300年以上も、同じように、尊崇され続けてくることはなかったかも知れん、と、広大にして幽玄な、巨木の森を歩きながら思いました。
五十鈴川の美しさ、森、太陽、そんな自然に抱かれると、なぜ、この地に国家の最高神をお祀りすることにしたのか、わかってくる気がします。
今日は、訳あって、神楽殿で、奉納のお神楽を見ることができました。厳粛にして華やか。地方の神社のお神楽とはまた全然違う、形式的に確立されたお神楽。雅楽の演奏は垢抜けしちょって、舞いも巫女さんの立ち振る舞いもスマート。これはこれで、見れて、実に良かったです。