街の賑わいと路地〔2977〕2011/06/10
2011年6月10日(金)曇り
今日は高知。曇っちょります。あの大震災から明日で3ヶ月。まだ、行方不明者が8000人と新聞にあります。大変なことです。
何度かご紹介しちゅう、宇佐の真覚寺住職、静照さんの地震日記で、安政南海大地震から3ヶ月目頃の記事を拾うてみます。
3ヶ月目の前日、安政2年3月4日。
曇り 朝、辺り一面を霧が覆い、お互いの顔も見えんばあになった。海から山の麓まで覆われ、昨日、一昨日の朝もおんなじような状況ぢゃった。今朝、夜明け頃、小さい揺れが一度。朝10時ばあから昼2時ばあまでの間に小さい揺れが3回と中鵜くらいの揺れが1回。今日、橋田の女性3人が潮干狩りに磯辺へ出て行きよったところ、そのうちの一人を無理矢理に女房にしょうとして「女房かたぎ」をする男がおったが失敗、大騒動になった。白昼の「女房かたぎ」はこじゃんと珍しい。その娘の家に、女房かたぎをしょうとした男が呼びつけられて長い時間、問答をしよったにかあらん。午後2時頃、小雨。夜10時頃に2回揺れた。1回は、中程度の揺れぢゃった。
と、いうことで、まだまだ余震が日に何度もあったことがわかります。3ヶ月目になると、世相も、ようやく日常が戻りつつあることがわかりますね。「女房かたぎ」という略奪婚の風習は、土佐には根深うに残っちょりました。
さて、ここは高知市内帯屋町。今は商店街ですが、藩政期は上士の住むエリア。アーケードから北に抜ける路地があり、雰囲気が良いので撮影してみました。実はこの路地界隈、藩政期末頃は吉田家の屋敷。そう。龍馬伝で田中みんさんが見事に演じちょった土佐藩参政、吉田東洋さんの家が、ここでした。
この界隈が商業ゾーンとして本格的に栄えだしたがは戦後。今、中心商店街の賑やかさが郊外大型ショッピングセンターに奪われる状況になっちょります。が、ヨーロッパの街とかを見たら、また、中心部に賑わいを取り戻す事はできます。その時重要になってくるのは、広い駐車場でもなければ広い道路区画でもありません。間違いなく、このような、歩いて楽しい路地が有機的に街に血液を流しゆうことが、街再生の鍵を握っちょります。