昔の話〔2958〕2011/05/22
2011年5月22日(日)曇り
ここは高知空港。飛行機で、出張に出発するところ。出発ロビーの外には、ANAの新デザインの飛行機が停まっちょりました。我々には懐かしい、復刻版のデザイン。尾翼には、レオナルド・ダ・ヴィンチさんが考えた飛行システムを図案化した、嘗ての全日空マークが。JALさんも、最近鶴のマークを復活させたりして、空が懐かしいことになっちょります。
このデザインの全日空機が高知空港を離発着しよった時代、まだ、この空港はジェット化されちょりませんでしたよね。ひまわり太郎が社会人になった頃、ここはジェット化され、飛行機デザインもその頃に新しゅうなったような記憶があります。間違うちゅうかも知れませんが。
当時、高知空港には全日空と東亜国内航空が就航し、YS-11が大阪や東京に飛びよりました。搭乗待合室も到着ロビーも、全部1階にあって、空港というよりはバスターミナル、という風情でした。せんばかったです。
東京まで、YS-11だと2時間。機内サービスは飴だっけやったので、ジェット機に乗って飲み物サービスが出てきた時は感動しました。
ひまわり太郎、初めて飛行機に乗ったがは、その平屋建ての高知空港から大阪までで、中学生の時分でした。汽車が大好きやったので、大阪へ行くがも、通常は汽車でした。高松まで急行あしずり、宇高連絡船で宇野に渡ります。そっからは、大阪行きの急行鷲羽。岡山まで新幹線が開通してからは、宇野から快速で岡山、そして新幹線でした。
当時、四国島内は電化されちゃあせず、土讃線は今でも未電化ですき、JRのことを高知県人は「汽車」と呼びます、今でも。宇野から乗った急行鷲羽は電車で、その、ヂーゼルとは全然違う電車の加速に、ちょっと嫉妬した少年時代。
連絡船も急行鷲羽も、そして急行あしずりも今は昔の想い出。
と、まあ、このデザインの飛行機を見ただけでこんな記憶がどんどんと沸き上がってくるがが面白いです。
そんなノスタルジーに浸りながら、さて、これからひまわり太郎はどこへ、何の用事で出張しゆうがでしょうか。明日からのにっこりをお楽しみに!