使者屋橋、新京橋、カキ舟、リベラル劇場〔2839〕2011/01/23
2011年1月23日(日)快晴!
今日はお天気の良い日曜日。久々に、街中をたつくってみることにしました。
と、申しますのは、こないだ、市民図書館で、昭和20年7月の高知大空襲直後から戦後復興していく高知市内を撮影した写真集を買うてきたきです。高橋写真館のご主人が、物資が不足するなか苦労して撮影した大量の写真は、空襲のすさまじさと復興の活力を伝えてくれます。その、素晴らしい写真集はなんと450円。超お買い得でございます。
その写真集の中に、このアングルから撮影した、戦争直後の写真がありました。
現在は、正面に新京橋商店街の入り口があり、その右手に高知大丸さんが見えます。左手には新京橋プラザ、てんこす。その向こうが中央公園。空襲後の写真では、ここに堀川が流れ、そのタクシーが並んじゅう所に橋が架かっちょります。使者屋橋。新京橋商店街入り口のところには新京橋が架かっちょりますね。商店街入り口の左手のビルの場所には、空襲で焼けたものの建物は残った「中央食堂」のビルがあります。あとは瓦礫の山。
戦後の昭和21年、南海地震がおきて、その空襲で残った中央食堂のビルも崩れてしまいました。その跡にはバラックが立ち、中央食堂も営業を再開し、闇市のような商店が密集して立ち並ぶ、賑やかな街へと変貌していく様が、その写真集から見てとれます。右手の大丸さんの場所には大きな映画館「リベラル劇場」が。そのタクシーの向こうは池のようになっちょって、カキ舟も営業を再開しちょりました。
お正月の高知新聞に、高知大丸の社長さんも書いちょりましたが、ここに川が流れ、橋が架かり、池から船に乗れるようになっちょったら、どんなにか素敵なことになっちょったことか。
高知パルプの工場廃液とかでドブ川になっちょったこの堀川を、文字通り臭い物に蓋で、埋めてから40年。こないだうちご紹介した、「人間周期率」の山崎さんたちのご尽力で、工場がなくなり、川は随分と復活してきました。
そろそろ、今一度、堀川が街中を流れ、屋形船が浮かび、舟で浦戸湾と行き来しながら楽しめる街を復活させる時期が来ちゅうがやないでしょうかね?