彼岸花が咲きかねちょります〔2716〕2010/09/22
2010年9月22日(水)晴れ!
今日も暑い高知県内。ちくと暑さがモンてきたみたいな、お彼岸の高知。彼岸花も、まだ彼岸ぢゃあないと勘違いしちょって、咲くがが遅うなっちゅうにかありません。ここはいつもの野市、上岡八幡宮境内。参道脇には、ご覧のような、まだ咲いてない彼岸花。この向こうにはオシロイバナが咲き乱れ、この右手には青い朝顔がどっしこ。そう、まだ朝顔の季節なのであります。
昨年のにっこりを見てみますれば、9月24日に、上岡八幡宮参道の、満開の真っ赤な彼岸花をご紹介しちょります。普段やったらもう満開。まあ、彼岸花は咲き始めたら一気に咲きますきに、明後日24日には、この蕾も咲いちゅうとは思いますが。
さて、ここは旧野市町の上岡で、この西を物部川が流れ、その西側が南国市物部。昔、物部氏の部民が住んだと思われる物部郷があった地域。
当時の物部川はもっと西を流れよったので、ここ上岡と物部郷はひっついちょりました。ですきに、この八幡様の小山は、たぶん物部氏に関係する人物か神様が祀られちょったと思われる、という話はビッシリ書いてきました。
そう言えば、物部氏と関係の深い石船伝説も、この上岡の山には残されちょります。
その南国市物部で、市道の工事中に、不発弾らしきものがどっしこ出てきて自衛隊が出動、処理をした、てな記事が、こないだの高新に載っちょりました。太平洋戦争後期、物部の南の海岸近くに海軍の飛行場がつくられ、特攻の訓練が行われたりしよりましたので、米軍の攻撃のターゲットになりました。ですきに、この界隈、簡易飛行機格納所である掩体壕やトーチカが残されちょったりします。当然、激しい爆撃や機銃掃射も行われたので、田んぼを掘り返したら、当時の痕跡が出てくるがは当然かも知れません。
ひょっと、もっと掘り返したら、物部氏に関連する遺構が出てきたりするかも知れませんですね。