台風一過、日章の夜明け〔2367〕2009/10/08
2009年10月8日(木)晴れ!
台風18号は、高知にとっては最高のコース取りと時間帯で行き抜けてくれました。で、今日は朝からお日様も顔を出す、上々のお天気でございましたね。
昨夜、南国から高知市内の家まで自転車で帰りましたが、かなりガイな東風が吹きよりまして、こぢゃんと楽ちんでした。背中から風が押してくれるもんですきに、メッソ、ペダルを踏むにようばんかったです。
さて、ここは高知空港の滑走路の北西端。ここは田村遺跡やら中世の集落跡やらのある場所で、空港拡張工事の際に発掘調査が行われた場所。
今は公園みたいに整備されちょります。右端に管制塔が見えよります。とっと向こうの山から、今にも朝日が昇ろうとしゆう時間帯。
ここに海軍が飛行場をつくったがは昭和16年。明治22年に、物部、久枝、下島の三村が集まって香美郡三島村となり、弥生時代の昔から肥沃な土地として栄えたこの地で、優良農地として栄えよりました。が、263戸1500余名の村民は、日本海軍によって突然退去を命じられたのでありました。そして昭和17年に日章村という戦時中らしい村名になったがです。
戦争が終わっても民間空港として整備され、高知大学やら高専やらができて、村民たちは結局帰ってくることができんかった訳です。そんな日章。
で、高知空港のことを、今でも日章の飛行場、と年配の方は呼びます。
眼前の、弥生時代の田村遺跡は、そのほとんどが滑走路の下に埋もれてしまいました。遠い将来、また、発掘されることもあるかも知れません。何と言うたち、2000年以上もの間、ここに存在してきた訳で、その歴史は日章の何十倍も古い訳ですきに。