雨の鉢伏山、錦兵団〔2365〕2009/10/06
2009年10月6日(火)小雨
今朝は雨。静かな雨。自転車で、そんな静かな秋の雨に濡れながら出勤するがも心地良うございます。
昨日、太平洋戦争末期に米軍上陸作戦に備えて配備された第11師団、錦兵団の司令部への登り口をご紹介しました。その場所は、この写真の中央から奥へ行った場所にあります。右手に霞んじゅうのは鉢伏山で、その方向へ登って行った高地に、その司令部はありました。第11師団は、第55軍に属します。四国全体の防衛を担うのが第55軍で、その司令部は、戦争末期には新改に置かれたそうです。
高知の皆さんはご承知の通りの、香長平野を統括できる場所であって、しかもこぢゃんと山深い、要塞化するがには適しちょりそうな新改。
昨日も書きましたが、連合軍は、パステル作戦という陽動作戦で80000人の兵隊を高知へ上陸させる予定やったですきに、どんな悲惨な戦いになっちょたか、想像するだに恐ろしいですな。
今書きよって思うたがですが、この向こう、錦兵団の司令部が置かれたがは鉢伏山。8月15日に終戦になっちょらんかったら、鉢伏山はトンネルを掘りまくられた要塞になったでしょう。映画「硫黄島からの手紙」で有名になった硫黄島の山は擂り鉢山。ご覧になった方はご承知の通り、あの山全体が地下要塞となって、凄絶な持久戦を戦うた訳です。
擂り鉢と鉢伏。どちらも意味しちゅうことは一緒でしょう。富士山のような形をした山。それを要塞にして、持久戦を戦う、という考え方が、当時の陸軍にあったがでしょう。士官学校とか陸大とかで、そういう考え方を教えよったがかも知れません。
今日は10月6日。パステル作戦では、10月23日に連合軍は高知へ上陸という計画やったみたいですきに、8月15日に戦争が終わってなかったら、もうまあ、この山が要塞となってオオゴトになっちょったがかも知れません。