夢の島、第五福竜丸、明治通りの朝〔2361〕2009/10/02
2009年10月2日(金)東京はシトシトピッチャン
てな訳で今朝も東京。シトシト雨が降る東京。そんな早朝、夢の島界隈をたつくりまわってきました。夢の島、ご存じですよね。我々の世代の感覚では、夢の島はゴミで埋め立てられゆう人工島。ですきに、今でもどんどんとゴミが運び込まれて埋め立てられゆう、てな感じの漠然としたイメージがあると思いますが、全然違いました。まあ、あの埋め立てられゆう映像を見たがはまだ若い若い頃やったですき、当然ながですが。
で、スポーツ施設やら緑地やら植物園やらのある公園として、現在は整備されちょりました。
そんな中を走ってきたがですが、この施設を突然発見しました。都立第五福竜丸展示館。あの、昭和29年にマーシャル諸島ビキニ環礁で、アメリカの水爆実験によって被爆した、あの第五福竜丸、ここに展示されちょったがです。これも知らんかったですね。
アメリカの設定しちょった危険区域外で操業しよったにも関わらず、思いの外威力が大きかった為、被爆。アメリカは、日本世論の悪化を恐れて、死者が出たりした深刻な被害を、実験と関係無いかのような結論を出す工作をしたりしちょります。酷いことをしたもんですな。
被爆半年後に、無線長の久保山愛吉さんが放射能症で亡くなっちょりまして、その遺言「原水爆の被害者は、わたしを最後にしてほしい」という重い重い言葉が刻まれた碑が、この展示館横にひっそりと立てられちょりました。
早朝で、もちろん中には入れんかったですが、入り口には大きな大漁旗が掲げられ、向こう側にエンジンが展示されておりました。
この事件を記憶する方も高齢化してきちゅうと思います。この公園を訪れる家族連れさんも、せっかくですきにしっかりと見ていってもらいたいですね。
ところでこの展示館の横を通る大きな道路は、何と明治通り。夢の島から始まっちょったがですな、明治通り。東京での学生時代、毎日のように横切りよった明治通りは、山手線の西半分の線路のちょっと内側やったですきに、こんなところからつながっちゅうとは思いませんでした。環七、環八は有名ですけんど、元々明治通りは環状五号線として建設が始まったらしいです。なるほど。また無駄な知識が増えた、早朝の夢の島でした。