文化9年に生まれた絵金〔2269〕2009/07/02
2009年7月2日(木)曇ったり晴れたり
実は昨日、お昼過ぎから山陽方面に行っちょりました。ですきに、夕刻、高知でかなりガイな雨が降ったり雷が鳴ったりしたことは、知らんがです。雷は結構エラかったみたいで、ビッシリ停電になったりしよったみたいですね。
今朝は雨も上がり、時折お日様も顔をのぞかせる蒸し暑いお天気。夜の間に降って日中は晴れる、という理想的な季候になっちゅう高知でございます。
ここは今朝の野市、上岡八幡宮の燈籠。
この燈籠、何度かご紹介しちょりますが文化九壬申歳八月十五日と刻まれちゅう、今から200年近く前、1812年に奉献された燈籠。立派です。
文化9年には、高知のお城下で、あの有名な絵師「絵金」さんが生まれちょります。江戸で狩野派を学び、土佐藩家老桐間家の絵師となりました。名字帯刀を許されたので「林洞意」と名乗りましたが、ねたみそねみの中で偽絵事件を起こして追放となりました。で、林姓から広瀬姓に変えて町絵師となったのであります。
才能があり、基礎技術もしっかりしちょったので、この燈籠のある野市の東、赤岡や西の後免とかで神社の絵馬、芝居絵などを描いて人気を博し、俗称の金蔵の金をとって「絵金」と呼ばれました。
いやいや、何が幸いするかわからんですね。あのおどろおどろしい絵は、家老の絵師をやりよったら描けんかったでしょう。苦労の末に町絵師となり、ホントは狩野派の絵を描きたい気持ちを抑えつつ描いた芝居絵で、一世を風靡どころか後世に名を轟かすようになりました。
その絵金さんが生まれた年に建てられた燈籠がこれ。絵金さんは、明治9年に65歳で亡くなっちょります。この燈籠ができて65年経過しても、まだ西南戦争の前の年ということですな。